言霊〜Supiritual Words

2007年12月の言葉

好きこそものの上手なれ――ことわざ(プロゴルファー青木功選手のコメントより)

10月28日、日本シニアオープン選手権において青木功プロが優勝しました。逆転優勝もさることながら、そこで話題をさらったのが「エージシュート」の達成です。「エージシュート」とは年齢以下のスコアで18ホールをまわること。最終日、65歳2カ月の青木選手は年齢と同じ65でホールアウトし、ゴルファー憧れの大記録を達成しました。表彰インタビューでのコメントがまたふるっていました。「好きこそものの上手なれ、だよ!」少年のように天真爛漫にはしゃぐ青木選手を見ながら、ふと我が身を振り返ってみました。

私は政治の世界を志し、理想に燃えてこの世界に入りました。誰が強いたわけでもなく、自分の強い意志で立候補したわけです。多くの有権者の皆さんの支持を得て当選させていただき、現在の公職があるのです。しかし厳しい現実を前に、当選後もなかなか苦労が絶えません。「自分が好きで選んだこの道なのに、なぜこんなに苦しいのだろう」というジレンマが常にありました。それだけにこの青木選手の言葉「好きこそものの上手なれ」は、単なることわざ以上の重みで私に届きました。

プロゴルファーになるような人はきっとゴルフが大好きで、かつ得意な人だったのでしょう。しかし過酷な勝負の世界で一打を争う闘いを続けるうちに、たくさんのスランプに遭遇するのです。タイガーウッズでさえ打ち方がわからなくなるというのがこの世界です。そんな五里霧中の世界でトップランナーとして走り続けて来た青木選手の明るさは、私を勇気付けました。苦しい場面でも目標を忘れず励み続ける……自分が選んだこの道が好きだから!「もっともっとこの道を好きになって、一流の人物になっていかなければ!」自分で選んだ政治家の道。誰でもはできないこの職につかせていただいていることに感謝し、力いっぱい頑張っていこうと思います。

2007年11月の言葉

政治家の実績の差は責任感の差である
人間性の差は積んできた苦労の差である――初代宗像市長 天野敏樹

先日、宗像市の初代市長である天野敏樹さんがお亡くなりになりました。天野元市長の孫であるGくんは私の大学時代からの親友であるため、私も葬儀に参列しました。そこで福岡4区の渡辺具能代議士が涙ながらに読んだ弔辞で出てきたのが、天野元市長のこの言葉です。

政治家に必要なものは責任感と良き人間性です。そしてそのバックボーンとなるのが苦労をしてきた経験です。官僚出身や二世三世といった世襲、落下傘候補など政治家にも様々な類型がありますが、その人が政治をするにふさわしいかは「人の苦労がわかる人間か」ということにかかっているのではないでしょうか。

今から5年前、私が初めて出馬しようと意志を固めた時、天野元市長に相談に行った日のことを思い出します。とても無茶な闘いでしたが、天野元市長は私の暴挙を止めるでも咎めるでもなく一冊の本をくださいました。そして「政治の世界は苦労するぞ。」と優しく諭してくださいました。あの人間の大きさ・優しさは苦労をしてきた人ならではのものだと、今あらためて噛み締めています。天野元市長のご冥福を心よりお祈りいたします。

2007年10月の言葉

成功する人とは 多くの人に助けてもらえる人である――福岡大学商学部 森正紀教授

先日行われた先輩の結婚式での、主賓の挨拶で出てきた言葉です。学生ベンチャーとして業を興した先輩は、苦労を重ねて現在の成功に至りました。その過程をつぶさに見てきた恩師が言ったのがこの言葉でした。

「成功する人とは失敗しない人ではない。松下幸之助も本田宗一郎もたくさんの失敗をしてきた。成功する人とは、そんな挫折のときに多くの人に助けてもらえる人である。君には人から助けてもらえるという才能があった。今日の成功も多くの人の助けのおかげだと肝に銘じ、常に感謝の心をもってこれからの人生を歩いていって欲しい」といった趣旨のことをおっしゃいました。

「人を助けること、人から助けられること」先月のことば「徳は身を潤す」にも通じるテーマです。

2007年9月の言葉

徳は身を潤す

私の実家の座敷に架けてある書からの引用です。権大僧正何某と書いてあるので、どこかの偉いお坊さんが書いてくれたのでしょう。子どもの頃これが何と書いているのかもわからず気にもしていなかったところ、ある日同居していた祖母が「とくは、みをうるおす」と読んだことで意味がわかりました。

徳という目に見えないものが、巡り巡って身を潤すという金言です。善い行いをしていれば良い報いがあるといった、仏教的因果応報の考え方です。

「徳」よりも目先の「得」のほうが優先される時代だからこそ、この言葉に味わいがあります。そもそも徳とは何かが難しいところですが、私のイメージでは「世のため人のために善い行いをすること」といったところです(自分のためにするのであれば「徳」ではなく「得」でしょう)

自分自身の積んだ徳が我が身を潤すこともあるでしょう。また先祖が積んできた徳によって子孫が潤うこともあるでしょう。日々の生活の中でもそれを感じることがままあります。我が身の幸運は、父母はじめ先祖の善行の賜物だと思うこともしばしばです。

徳のある行いを行動規範とすることが、長い目でみて成功への近道なのではないでしょうか。人間は社会的動物なので、人に良くしたことはいつか自分に返ってくるのです。(もちろん徳とは、成功するためや我が身を潤すために行うものではありません。卑しい目的での行動はすぐに見透かされますので、見返りを求めるようではいけませんね)

2007年8月の言葉

疾風に勁草を知る――後漢書・王覇伝より

風がなければどの草も同じに見えるが、激しい風(疾風)が吹いた時にはじめて風にも倒されない強い草(勁草)が見分けられる。逆境を通じてはじめて、その人の意志の強固さや真価が分かるということ。

自民党県議団に移籍して三ヶ月。その間、県議会と参院選を初めて自民党籍の立場で経験しました。閣僚の失言、事務所費の問題、強行採決……さまざまな失点を続けたことで自民党への不信感は強まり、凄まじい逆風が吹いていることは私も日々肌身に感じていました。

そして参院選での大惨敗……。私が自民党に入った時期は最も悪いタイミングだったかも知れません。しかし自分が信念を持って選んだ道です。責任を持ってまっとうしたいと思います。言葉を尽くしてもご理解いただけない分には行動をもって示すほかはなく、毅然として我が信じる道を進んでいこうと考えています。

2007年7月の言葉

愚公移山(ぐこういざん:愚公、山を移す)中国の故事

辛抱強く努力すれば、どんなことでもいつかきっと成し遂げられるということ。

昔中国に愚公という九十歳になる老人がいた。自分の家の前にある山のため一族がおおいに不便を強いられていたのでこの山をよそへ移そうと決意し、息子と孫を引き連れ山を崩しはじめた。それを見た知叟(ちそう)という利口者の老人は愚公を笑い馬鹿にした。ところがそのやりとりを見ていた天帝が愚公の心意気に感心し、山をよそへ移してやった。という故事から。

私がこれまでの一期四年間で取り組んできたことが、少しずつ陽の目をみようとしています。ひとつは多重債務問題(おにきどんタイムズ16号参照)。いままでこの問題は「借りる本人の問題だ」として公的な取り組みがされてきませんでした。しかし県では今年度より「大きな社会問題だ」という認識で、相談体制の充実や生活再生の手助けなどに取り組むこととなりました。

もうひとつは県の財政改革(平成17年度決算特別委員会などで質問)。毎年増え続けている県の借金を、単年度で減少にもっていくことが必要だと私は議会で主張し続けてきました。これを受け、県が発表した新財政構造改革プランでは、平成22年度には県債残高を減少に転換させる方針となりました。

どちらも小さな一歩でしかありません。しかし信念を持って取り組んだことが前進していくことは何にも代えがたく嬉しいものです。小さな一歩の積み重ねがいつかは山を動かすのです。

私がやろうとしていることの全ては、わが身一つで山を動かそうという類のことかもしれません。しかし私ができなくても、後に続く人達が根気よく努力を続ければいつかは叶うことだと信じています。正しいと信じたことを貫くこと、実際に行動すること、諦めず一心に打ち込むこと、この故事は、人間の努力の偉大さ、信念を持つ人の強さ、勤労の尊さを語っています。愚公を馬鹿にした老人は利口者かもしれませんが、人のやっている行動にけちを付けるばかりで自分では何一つやらない批判家です。「人になんと言われようが、自分の信じたことに打ち込む強さを持ち続けたい」と、あらためて感じる二期目のスタートです。

2007年6月の言葉

政治とは可能性の芸術である――ビスマルク(ドイツ帝国初代宰相)

アメリカの国務長官だったキッシンジャー氏が、去る4月に来日されました。その際に出演したテレビ番組を私はたまたま見ることができたのですが、そこで彼が引用したのがこの言葉です。キッシンジャー氏はさらにこう続けました。

「政治とは現実世界の問題を解決していくものです。大事なのはそのバランスを理想と現実のどちらに近いところでとるかなのです。目の前の現実への対処だけなら誰にでもできます。より理想に近いところでバランスを取りながら現実の問題を解決するのが優秀な政治家なのです」

その通りだ!と私はヒザを打ちました。政治家に求められているのは場当たり的な対応ではなく、過去に対して整合性があり現在において実現可能で、かつ未来に向けて責任の持てる指針を示すことです。その作業こそ可能性という糸でつむぎだす芸術なのだということなのでしょう。

理想だけでは世の中が成り立たないこともわかっています。さまざまな人々の利害がぶつかりあい、ともすれば醜い現実世界。そんな中でも理想を掲げあるべき社会像を追求する作業が政治であるならば、それはまさに芸術と言って然るべきでしょう。

もちろん政治と芸術は違います。責任ある政治家なら、国民が食べていけることが最優先です。そうしたリアリズムに立脚しながらも、高い志を保ち理想を求め続けたいものです。

2007年5月の言葉

春風や 闘志抱きて 丘に立つ――高浜虚子

春という季節はいつもセンチメンタルです。卒業、入学、就職、年度替わり…。厳しい寒さの冬を乗り越え、新しい生活が始まります。そこにはたくさんの出会いと別れがあります。勝利や敗北、希望や不安、人生の悲喜があります。咲いては散る桜のように、これほどまで人生の明暗のコントラストを感じる季節はないのではないでしょうか。

私が迎えるこの春も大変感慨深いものとなりました。桜咲く季節に多くの仲間達に支えられ選挙を闘い、二期目の県議会を迎えようとしています。四年間お世話になってきた会派を移ろうかという決断を前に、涙の毎日を過ごしました。

不安があろうと別れがあろうと、たくさんの思いを残して前に進んでいかなければなりません。暖かな春風を受けて、新しい環境に挑む闘志! 何があろうとこの人生、前に進むしかないのです。涙を拭いて歩き出そう! 頑張るぞ!

※高浜虚子:明治期に活躍した俳人
「俳句とは季語を重んじ平明で余韻があるべきだ」とし、客観写生を旨とすることを主張した。

2007年4月の言葉

意思あるところ、道あり。where there is a will, there is a way――ことわざ

純粋な若者達に政治や行政の世界で頑張っている人達を見てほしいと、鬼木事務所では春と夏の年二回、学生インターンシップを受け入れています。二ヶ月のインターン期間終了時に「学生に一言」ということで色紙を渡すのですが、今回私が七期生の学生達に贈ったのがこの言葉です。

これからの長い人生、良いときもあれば悪いときもあるでしょう。行くべき道を見失い途方にくれることもあるでしょう。そんなときに思い出してほしいのがこの言葉です。

自分が最初に思い描いていた初心に立ち返り、再びその意志を強く持つことができれば、おのずと道は開けてくるものです。意志を貫く強さと決して諦めず歩き続ける努力が、道を開きます。自分を信じなければならない場面での魔法のコトバとして、この言葉を贈りたいと思います。

2007年3月の言葉

どんなに地上が雨や嵐であっても、雲の上にはいつも太陽が輝いている――森田修学館 柿添広隆先生

先日、私の出身塾である森田修学館の終了式(学校でいうところの卒業式)に参加しました。そこで卒業生へのはなむけとして先生が贈られたのがこの言葉です。柿添先生は英語科の先生で、20年前には私も教えてもらった(おかげでラ・サール高に合格できた)恩人です。

長い人生の中にはたくさんの困難があります。目の前の苦しみに先が見えず途方にくれることもあります。そんな状況を乗り越えるために必要なもの、それは「希望」ではないでしょうか。「雲の上にはいつも太陽が輝いている!」そのことを信じて日々の努力を積み上げることが必要です。雲がはれたその時、大きく飛躍できる力を蓄えておくのです。

もうすぐ冬も終わり、希望の春がやってきます。目の前のことにクヨクヨせず、一歩ずつ着実に歩いていきましょう!

2007年2月の言葉

人生のあらゆる状況は楽しまなければならない――貿易商T・Yさん

私が大学生の頃、父の後輩である貿易商Tさんの中国・香港出張にお供させていただきました。飛行機で香港へ行き香港トレードショーに参加、船で中国に渡り広州トレードショーに参加しました。貿易商と言えば格好良く華やかですが、地道な仕事はなかなか大変なもので、外国人との交渉や長い移動には気力体力のタフさが求められました。

かばん持ちの私が疲れてグッタリしているときにTさんがおっしゃったのがこの言葉です。長い人生には良い時も悪い時もあります。苦しいことも辛いことも次々に襲ってきます。それらあらゆる状況をひっくるめて、全てを楽しまなくてはならないということです。

私も議員という職業に就いてからの四年間、たくさんの辛い苦しい状況がありました。「自ら選んだ道なのになぜこんなに苦しいのだろう?」と思い悩むこともありました。そんなときに思い出したのがこの言葉です。

以来、どんなに困難な状況もそれが自分の二度とない人生の一部なんだと受け入れ、「その全てを楽しんでやろうじゃないか!」と前向きに考えるようになりました。ましてや私は自ら望み有権者の皆様から信託いただいた職業です。弱音を吐くわけにはいきません。前向きに元気いっぱい頑張ろうと思います。辛くても人生、楽しくても人生。あなたは人生を楽しんでいますか?

2007年1月の言葉

我、事に於いて後悔せず――宮本武蔵

剣豪・宮本武蔵の「独行道」二十一箇条のひとつです。月並みな言葉に聞こえるかもしれませんが、ひとつひとつの決断や進退が重たい状況になるほど、この言葉の深さは身に染みます。

私もたいした経験がある訳ではありませんが、いろいろな方から進路などについて相談を受けたときには必ずこう聞きます。「それであなたはどうしたいと思っているのですか?」

二度とない自分の人生、悔いを残さず生きなければなりません。大事なのはこの命、人生を、自分自身がいかに生きたいのかということではないでしょうか。

いろんなジレンマの中、どうしたら良いのかわからないから相談に来ている人に対し、「あなたはどうしたいの?自分で決めなさい!」というのは酷かもしれません。決断することも悔やまないことも人には難しいものです。しかし本当に自分がどうしたいのか、長い目で見て悔いが残らない道を自ら見つけなければなりません。

そして決断したら、二度と悔やまず振り返らず前に進むこと。あなたが選んだあなたの道を、他の誰でもないあなたが歩いていくのです。後悔しないことが偉いのではなく、悔いなく生きる日々の覚悟にこそ価値があるのです。

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