言霊〜Supiritual Words

2005年12月の言葉

「何々になろう」とする者は多いが、「何々をしよう」とする者は少ない
(物理学者・長岡半太郎)

日本の高名な物理学者であり、大阪大学初代学長を務めた長岡半太郎の言葉。「何々になる」という目標は空疎な意味しか持ちません。それになれた時点で目標が達成されてしまい、もっと大切な「何をするのか」というところに辿り着かないからです。

杉村泰蔵氏がマスコミに現れて以来、目に見えて「政治家になりたい!」という若者が増えてきました。それは喜ばしいことでもあるのですが、その先の「何をしたい!」というものが希薄なケースが多々あります。何をするために政治家になるのか? 政治家はスターでもなければ権力者でもありません。本当に世の中のために生きようと思うのなら、そこから先は荊の道のりです。その覚悟もなく簡単に「政治家になりたい」と言ってほしくない、というのが私の本音です。政治家になりたいだけの、そしてその座にしがみつくだけの政治家なんていらないですよね。

2005年11月の言葉

起きて半畳、寝て一畳(ことわざ)

たとえどんな大きな家に住んでいようと人ひとりが占める場所は起きているときは半畳、寝ているときは一畳あれば済む。広大な家に住む金持ちをうらやんでむやみにあくせくしてもつまらないということ。

私は、虚飾にまみれて派手な暮らしをする人が格好いいとは思いません。質素でも一生懸命生きていることが伝わってくる人のほうが美しいと感じます。足るを知り多くを望まず、シンプルな生活を心がけたいものです。(※ちなみに先日訪れた神戸の「人と防災未来センター」によると、国連の定める人間の最低居住空間は約二畳だそうです。)

2005年10月の言葉

政治は遊びや道楽やなかとじぇ! 命を賭けてやるもんじぇ!(福岡県議会議員 三船祐規)

九州大学在籍時、将来政治家になりたいと思っていた私は、太田誠一代議士のもとで政治の勉強をさせてもらっていました。

そんなある日、当時太田代議士の秘書であった三船さんが、糟屋郡の県議会議員に立候補することになりました。秘書出身で大きな選挙資金もなかった三船さん、学生ながらも選挙で大きくお金がかかるのは人件費だと気付いた私は、無償で専属運転手役を買って出ました。そして三船さんも私を一人前にしてやろうと親身の指導をしてくださいました。選挙戦の忙しい中、車中で私に語りかけたのがこの言葉です。

政治は遊びや道楽でやれるほど簡単なものではない! 命を賭けてやるだけの覚悟と責任が必要なものなのだ! ということを教えてくれました。私も会社を辞めて立候補するときには相当な覚悟で臨みました。いまでもこの世界のシビアさや責任の重さをひしひしと感じる日々です。

2005年9月の言葉

熱意こそ人を動かす(西日本銀行ラグビー部元監督 案浦誠一さん)

最近テレビで、小泉首相が総裁選に出馬したときの古いVTRを見ました。不利であることが明確な状況下で、支持してくれる仲間達に囲まれ激励を受けたときに、あの小泉さんが涙してこう言いました。「人間を動かすのは計算ではないね。」これを見て思い出した私の大切な言葉が「熱意こそ人を動かす」です。

銀行のラグビー部で過ごした日々は、私にとってかけがえのない楽しい時間でした。厳しい経済情勢の中、営業社員としてノルマに追われながらも、仕事もスポーツもきっちりやり遂げる。そんな「文武両道」が創部当初からのラグビー部のモットーでした。ときに行き詰まる部員を励ました監督の檄が、この言葉です。上司との軋轢、顧客との交渉……逃げ出すのではなく正面からぶつかるのだ! 熱意こそ人を動かすのだから。そう教えてくれました。

2005年8月の言葉

公私の別を明らかに!(西日本銀行 心得10唱)

私が7年間勤務した西日本銀行で、朝礼時にみんなで唱和していた行訓の一つです。

人様の大切な財産をお預かりする銀行員は、ときとして大金に触れます。しかしながらそれは決して自分のモノではなく、1円たりとも身に付けることは許されません。ごくごく当たり前のことですが、この基本が徹底されることが大切です。

この世の中、自分のお金と人のお金の区別がつかなくなった人がどれほど多いことか! 無駄遣いも人の金、ばらまくのも人の金、着服するのも人の金、様々な事件を見るにつけ、この言葉を思い出します。特に公職にある者は、常に心して「公私の別」を明らかにせねばなりません。公的な地位や立場も、私的に利用してはいけません。公的な権限の強大さに触れるうちに、それを自分の権力と勘違いしまうんですね、人間は。議員になってからも、銀行員時代に身に着けた基本の大切さが身にしみます。

2005年7月の言葉

価値ある男になれ。価値とは何か? 人にできないことをなしてこそ価値である。(森田修学館館長・森田譲康)

中学生の時分から私が薫陶を受けている、森田塾の館長先生の言葉です。館長先生は教え子達に、勉強だけでなく、こうした独自の帝王学をたたき込んで来られました。

難しい問題に直面したとき、館長先生に「できません」という逃げの言葉は許されません。表現を少し前向きにして「できるだけ頑張ります」と言っても「できることは誰でもできるったい。誰でもできることは価値じゃなか。人のできんことばするけん、価値があるったい。」と怒られます。確かに、難しいとは思いつつも、諦めずに努力を重ねることで可能になることもあります。そうやって自分で作った限界の壁を越えていくことで、価値というものが生まれるのです。

決められた枠の中で前例や慣習に従うだけなら、それ以上の価値は生み出せません。厳しい指導ですが、私をより大きく育ててやりたいという気持ちに満ちた温かい叱咤です。

2005年6月の言葉

仁に当たりては 師にも譲らず(當仁不譲於師)――論語

私の出身中学である当仁中学校の校訓です。唐人町の「とうじん」の音に、教育的意味を持つ「当仁」の当て字をしたものだと思われます。人の道である仁を貫くためであれば、たとえ師が相手であっても譲るべきではない、という意味です。いろんなしがらみの中で正義がねじまげられがちな世の中ですが、本当に大事なものは譲る(譲歩する)わけにはいきません。

「ここで引いてしまっては自分が政治をやっている意味がない!」

ギリギリの局面で一歩も譲れない時があります。何かを貫くというのは、人とぶつかることを恐れない覚悟が必要です。自分が信じた道ならば、結果を恐れず堂々と歩きたいものです。

2005年5月の言葉

恩は石に刻み、恨みは水に流せ

先日、親友の結婚式に参加してきました。思い起こせば3年前、私が会社を退職し、たったひとりで選挙に挑もうとしていたときに、スタッフとして私を支えてくれたのが彼でした。その結婚式には私がお世話になった方々が多数いらっしゃいました。あらためていろいろな方の応援があって今の自分がいることに気付かされました。

人は、人から世話になったことは時とともに忘れがちです。また逆に、人から冷たくされたことはいつまでも忘れないものです。恩を忘れず、恨みは持たず、そんな生き方を実践していきたいものです。

2005年4月の言葉

世の人は 我を何とも云はばいへ 我が為すことは 我のみぞ知る――坂本龍馬

坂本龍馬はいまでこそ英雄ですが、その人生は奇想天外であり、当時の常識をはるかに逸脱していました。志や夢や理想が大きければ大きいほど、世の中からは理解されなかったことでしょう。豪放な人物として描かれがちですが、実際の龍馬は繊細な心配りのできるセンシティブな若者であったかもしれません。人と人、人と自分、との狭間で悩み苦しんだことも多かったことでしょう。しかし誰がなんと言おうと自分の信じた道を往く、という姿勢がこの一言に表れています。

私も、「人は賛成しないかもしれないが、こうすることがきっと世の中のためになる」という信念を価値基準として、世論におもねず我が道を往きたいと思います。政治家には世論に耳を傾ける誠実さと、自分の信念を貫く頑固さのバランスが必要だと思います。優しさと強さ、そして大局観を持って決断する知恵と力を併せ持ちたいものです。

2005年3月の言葉

人生は、Never Too Late!(遅すぎることはない)――デニー友利

プロ野球、元横浜ベイスターズのデニー友利投手が、37歳にしてボストンレッドソックスとマイナー契約を結んだ記者会見での言葉。遅すぎる挑戦に否定的な周囲やマスコミに対し、憤るでもなくムキになるでもなく、淡々と自分の信念を語る姿に「カッコイイ〜!」とシビレました。言い訳ばかりして口先ばかりで何も行動しない人が目に付く世の中で、自分の夢と可能性を信じて全力を尽くす生き方にエールを贈りたいと思います。頑張れデニー! 応援してるぞー!

苦労人・デニー友利投手の野球人生の詳細はこちらのサイトにて御覧ください。

2005年2月の言葉

三年先の稽古

受験シーズンが到来しました。親も子も大変な季節です。私はこの言葉を中学生の時に森田塾の先生から教わりました。相撲の世界に古くから伝わることわざだと聞いています。

「力士は、強くなりたい! 横綱になりたい! と思って日々稽古に打ち込む。だけど、一日稽古をしたからといって翌日すぐに勝てるほど、勝負の世界は甘くない。今日やった稽古、明日やった稽古の積み重ねが、やっと三年後に実を結ぶのだ。三年先に実を結ぶような地道な努力の積み重ねが、本当の力になるのだよ。受験勉強も同じだ。すぐには結果は出ないかもしれない。しかし、努力は君たちを裏切らない。今やっている努力が三年後報われると信じて、今を一生懸命頑張ろう!」

当時は受験勉強の話でしたが、今になってつくづく人生と同じだなあと実感しています。すぐには結果は出ないけど、努力は君を裏切らない! 大切なのは自分を信じて地道な努力を続けること! 私は今でも苦しい時には「三年先の稽古だ!」と歯を食いしばって踏ん張っています。

2005年1月の言葉

是を是とし、非を非とす。これを知と言う(荀子)

是々非々という言葉の語源となった言葉です。是々非々とは、よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断することです。では、荀子の言った「これを知という」とはどういうことでしょう?

現在の世の中ではまったく逆に見えてなりません。

世の中でうまく生きていくためには、「どう考えてもこうなんだけどな」と思いつつも言えなかったり、「明らかに違うんじゃないかな?」と思いつつも従ったり、長い物に巻かれることが知恵であるとされる場面が多々あります。また、組織の中での方針に意見することは、天に向かってツバを吐くようなもので、馬鹿な生き方だとされます。それをあえて「知」と言ったのは、「間違ったことを続けていればいつかは破綻がやってくる。正しいことを貫くことが、長い目で見れば結果としてプラスである」という大局観に基づくものだと思います。この大局観を持って、行動として貫くことができることを「知」と呼んだのだと思います。

この文の後には「是を非とし非を是とする、これを愚と言う」と続きます。良いこと悪いことをねじ曲げるのは愚かなことなのです。正しいことを正しいと言えない組織は非常に不健全であり、いつかは行き詰まります。昨年もたくさんの企業が、不祥事やその隠蔽発覚により窮地に追い込まれました。

この国の未来のために、今まさに「知」が必要な時代になっています。風通しの良い世の中、正しいことが正しく評価される世の中にしたいものです。

2004年12月の言葉

泣くよりも先にやることがあろうもん!
(田島小学校6年4組の同級生・中沢真紀子さんの言葉)

私がいた6年4組は、ラグビーを小学生向けにアレンジした「フットボール」という競技をクラスでやっていました。みんなこの競技が大好きで、赤組と白組に分かれて激しく火花を散らしていました。ある日のこと、私の白組は開幕から4連敗、どうしても勝てない悔しさに、皆、声をあげて号泣しました。その時です。ひとりの女の子が大声で叫びました。

「あんたたち、泣くよりも先にやることがあろうもん! 相手が強いとか体が大きいとか言わんで、練習して勝てばよかろうもん!」

その言葉に目が覚めました。「よしやろう!練習して次は絶対勝とう!」猛練習ののち迎えた第5戦、激戦の末、白組は初勝利をあげました。

「泣くよりも先にやるべきことがある」今でもこれが私の基本になっています。

2004年11月の言葉

泣いてパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない(ゲーテ)

つらい思いをしたことのない人には人の苦しみはわからない、また、苦境に立たされたことのない人には人の情けの有り難さはわからない、ということを巧みに表した言葉です。

政治家は人の苦しみがわからなくてはなりません。若いからという言い訳は通じません。苦しみ悲しみを知り、人の痛みがわかる人間でありたいものです。 「泣いてパンを食べた」経験というのは、かけがえのない貴重なものです。その時の悔しさ、つらさはいつまでも忘れず、自分の傲慢さを戒めたいと思います。

2004年10月の言葉

人事を尽くして天命を待つ

人ができるだけのことをして、結果はただ天に任せる、という意味。事の成否はともかくとして、とにかく全力を尽くすということを言った言葉。

私流の解釈としては「やるべきことをしっかりやっていれば、結果は後からついてくる。結果を気にするよりも、やるべきことをしっかりやっておくことが大切である」日々やるべきことをやり遂げる積み上げが、自信となり力となる。自分を信じることができれば、全力を出し切ることができれば……

結果はどちらでもいいじゃないか! それがおそらく天命なのだから。

2004年9月の言葉

命がある限り忘れてはいけない、
今しか僕にしかできないことがある(甲本ヒロト)

パンクロックバンドであるザ・ブルーハーツの曲の中の一節です。

私が中学生の頃から聴きはじめたのですが、シンプルな表現の中に込められたメッセージは、心にガツンと響きます。人は何のために生まれ、そして生きているのか?自分の価値とは何か?かけがえのない今この瞬間、自分は何をなすべきなのか?この曲を聴くたび、自分が今という時を全力で生きているか自問します。二度と戻らない時間を大切に、精一杯生きたいものです。

2004年8月の言葉

弱いのは恥ではない。その弱さに徹しえないのが恥だ。(島崎藤村)

2003年4月の統一地方選挙。資金もなく組織もなく無謀と言われた闘いに挑む私に、一通のメールが来ました。

「自分はまだ学生で、先輩のためにはこんなことしかできないけど……」

ラグビー部の後輩が、私へのエールとして贈ってくれた言葉です。人はそれぞれに自分のおかれた状況や実力というものがあります。それらを悲観したり繕ったりするのではなく、自分の持てる限りの力で全力で挑むことに価値があるのだと思います。自分の弱さを認めながら、努力や工夫で乗り越えて成長していくのです。いまでも苦しい時には思い出す、たいせつな言葉です。

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