言霊〜Supiritual Words〜2010年分

2010年12月の言葉

死ぬ気でやってみろ 意外と死なないから----勝 海舟

ご存知、維新の立役者のひとり、勝海舟の言葉です。

自分を斬りに来た坂本龍馬を受け入れ育てた度量の大きさや、江戸を戦火から救った西郷隆盛との歴史的会談、新政府に対し歯に衣着せぬ批評をした度胸と見識、幕臣でありながら体裁にとらわれない人間の大きさに魅力を感じます。

べらんめぇ口調の海舟には、やけっぱちとも思えるほどの思い切りの良さがあります。捨て身というか開き直りというか、一度きりの人生、自分に嘘をつかない潔さがあるように感じます。そういう彼の言う「死ぬ気でやってみろ」は説得力があります。どんな世の中にも、本当に死ぬ気でやっている人はそういないのではないでしょうか? 海舟は、自分に降りかかる全ての運命に対して、死ぬ気で事にあたったのではないでしょうか。その結果、何の保身もしなくとも意外と生かされている自分に気づいたのかもしれません。

小さなことで思い悩むよりも、大きく構えて思い切りやってみよう! 死ぬ気でやればなんとかなる! その気魄が運命を変えるのです。

2010年11月の言葉

成敗(せいばい)は天にまかせてことにあたるのが武士の勇気----杉本鉞子(すぎもとえつこ)

先日紹介した桜井よしこさんの著書、「明治人の姿」の主人公が杉本鉞子さんです。杉本さんは長岡藩の筆頭家老の娘に生まれ、戊辰戦争では賊軍としての厳しい運命に翻弄されます。杉本さんの祖父も父も、佐幕派として非業の死を遂げました。しかし、あらがい難い運命を前にしても、彼らは一切ジタバタしませんでした。自分の信じる大義を貫いた後は、責任を逃れることも人を責めることもせず、静かに天命を受け入れました。その潔さに感銘を受け、現代に生きる私もそこに学ばなければと思うのです。

大義を貫くにあたっては、全ての私情を捨て一心不乱にことにあたるべきです。その結果どういう運命が自分を待っているかは誰にもわかりません。現代日本においては、先のことまで考えて打算で動くというのがむしろ常識的な行動かもしれません。しかし昔の日本人はそうではありませんでした。目の前の現実に対して、「大義」を最大の価値としてことにあたりました。そしてその結果おこった全ての出来事(成敗)については、潔くみずから引き受けたのです。当時の日本人の価値観が「自分にとって損か得か」ではなかったのはあきらかです。「自分の行動は大義に則っているか」ということが価値であり、結果は天に任せ全てを受け入れるのです。「損か得か」で言えば損することが多い選択でしょうが、私はかつての武士のごとく生きたいのです。

政治の世界も世の御多分にもれず、大義よりも損得で動いた人のほうが成功しがちな世界です。正直や誠実、謙虚、節操と言った美徳は軽んじられ、真面目一本槍の人は利用されるばかりで損をしがちです。しかしそれでも、私は私の信じる美徳を追求していきたい! 政治家に信念と節操が無くてどうしますか!? 日々、成敗は天にまかせてことにあたるのみです。

2010年10月の言葉

小さなことを積み重ねるのが とんでもないところへ行くただ一つの道だ
----プロ野球選手・イチロー

先月、大リーグ10年連続200本安打を成し遂げた、イチローこと鈴木一朗選手の言葉です。「千里の道も一歩から」と言いますが、偉大な記録も小さなことの積み重ねにほかならないのです。

また、時を同じくして大相撲では横綱白鵬が62連勝を成し遂げました。前人未到の境地でありながら、当然のように積み上げられていく安打、そして勝利。日々の節制やトレーニング、記録更新のプレッシャーは、我々の想像を絶するものがあるはずです。彼らが積み上げた「小さなこと」とは、安打や勝利そのものではないのでしょう。安打を打つために備える日々の行為ひとつひとつが、偉大な記録への轍となったのです。

同時代を生きる二人の求道者の姿は、私にとっても大きな刺激です。「とんでもないところ」を目指すのであれば、小さなことを軽んじてはいけない!さらなる高みを目指して踏み出す一歩一歩が、それ自体価値あるものなのです。成功とはきっと、「小さなこと」を大事にできるかどうかにかかっているのでしょう。行く道は違えども、イチローにも白鵬にも負けない意気で、私は政治の道を究めたいと思います。

2010年9月の言葉

笑わせる 腕になるまで 泣く修業----林家三平

“昭和の爆笑王”と言われた落語家・林家三平さんがのこした言葉です。テレビ時代の寵児として多くの国民を笑わせてきた林家三平さんですが、陸軍徴兵から復員した後、売れるまでの間には苦労の生活があったようです。

芸人の世界では苦労や遊びも「芸の肥やし」とされますが、三平さんは売れるまでの修業では泣く思いを重ねてきたのだろうと思われます。泣いて泣いて、苦労を重ねて腕を磨き続ける……いつの日か、晴れの舞台に立ちお客を笑わせる日を信じて。

苦労というのは人が磨かれるいちばんの肥やしだと、私は最近つくづく思っています。苦労を知らなければ、人の痛みがわからない。謙虚な気持ちを持つことができない。自分より弱い立場の人を心底思いやることができない。自分を支えてくれる多くの人の存在に思いを馳せることができない。そう思うのです。

最近は、テレビにちょこっと出演すれば全国的な有名人になり一躍人気者です。安易な気持ちで「芸人になって金持ちになってモテたい」という若者も多くいます。しかしどんな業界でも、簡単に手に入るものに大きな価値はありません。安易な成功を望むより、苦労しても自分の信念を求める道を行くべきです。

自分が信じた道を、ただひたむきに真っ直ぐ歩いていきたいものです。その道のりは涙でいっぱいでしょう。しかし苦労を乗り越えた人だからこそ、優しく人を笑わせることができるのです。

2010年8月の言葉

先憂後楽〜天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ〜笵仲淹『岳陽楼記』より

笵仲淹は北宋の政治家。福岡県が友好提携を結んでいる江蘇省・蘇州の出身。優れた見識を持ち、己の身を顧みず天下を論じたという笵仲淹が残したのが「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」という言葉です。為政者たるもの天下の安危について人より先に憂え、人より後に楽しむべきであるという意味です。

政治家は、国民が不安を感じるより先に、将来起こるであろう問題点に気づくことが必要です。
そしてまたその問題について、事が大きくなる前に先んじて手を打つことが必要になります。
問題が起こる前に手を打ち国民生活を守る、自分の楽しみはその後である、という心構えです。

翻って、今の日本の政治はどうでしょうか?
少子高齢化や財政の悪化など、今のような厳しい状況になるのは昔からわかっていたことではないでしょうか? 将来必ず起こる問題を放置し、場当たり的な対処をツギハギで繰り返してきたツケが、今押し寄せてきています。今政治がなすべきは国民への迎合ではなく、「今これをこう解決しなければ将来こんなに大変なことになりますよ」と、国民を説得することです。耳に痛い厳しいことも、率直に国民に訴えなければなりません。

今の日本は生活習慣病のようなものです。飴をもらって喜んでいる場合ではありません。根本治療の苦い薬を処方できる厳しくも優しい医者こそが必要です。

政治家だけではありません。国民もまた、将来のことを心配し、現在の厳しさに耐えなければなりません。そうして私達の次の世代に、暮らしやすい良い国を残さなければなりません。民主主義の主権者である国民こそが「先憂後楽」の気構えが必要な時代なのです。

2010年7月の言葉

もっとも不幸なことは全てが思い通りに回ることだ。----プロ野球選手・イチロー

大リーグでも大活躍を続けているプロ野球選手・イチローこと鈴木一朗さんの言葉です。この言葉はその後さらにこう続きます。

「思うようにいかなくなってその困難を乗り越えようとする。そして少し成長した自分がいる。これが最高の瞬間なんだ!」

なんとも爽やかで前向きな言葉じゃありませんか?! 全てが思い通りになる人生を人は望みがちですが、それは幸せなことなのでしょうか? あらゆる困難は自分を成長させるための試練なのです。いかにも求道者(球道者?)イチローさんらしい言葉です。

小学生の頃からの夢がかなって政治家として歩みだした私ですが、順調そうな傍目の華やかさ以上に苦しみの多い道のりでもありました。身を粉にして働いても政治家に対する世間の風当たりは強く、信念を貫いて行動しても理解されないことに心を痛める日々でした。そんな時に友人が送ってくれたのがこの言葉でした。

何事も、思い通りにいかないのが当たり前です。それを乗り越えるところに成長があるんです。挑戦と成長に喜びを見出し、前向きに進んでいきたいと思います。

2010年6月の言葉

稚心を去れ 気を振るえ 志を立てよ 学に勉めよ 交友を択べ----橋本左内「啓発録」より

安政の大獄で26歳の生涯を閉じた幕末の志士・橋本左内が、15歳で著したのが「啓発録」です。彼がその書の中にしたためたものが、自分を律するこの五つの規範です。世の中で役立つひとかどの人物(=左内は「天下の大豪傑」と記している)になるためには、「幼い気持ちを捨て、負けじ魂を奮い起こし、人生の目標を定め、優れた人物に学び、交際する友を選りすぐる」ことが大切であるとしています。

こうした人生の指針を、左内は15歳のときに自ら打ち立てたのです。最近は大河ドラマ「龍馬伝」で幕末に注目が集まっていますが、近代日本の黎明期に活躍した彼らはみな十代二十代の若さでした。当時の志士と比べると、今の日本人は幼稚で無気力なのではないでしょうか。橋本左内のこの言葉からも、「生きる心構え」が違うのだなぁと考えさせられます。閉塞したこんな時代だからこそ、志ある生き方が輝きを増します。時代が良くなれば個人の志が高くなるわけではありません。志ある高潔な個人が増えることこそ、時代の閉塞感を打ち破ると私は思います。

2010年5月の言葉

報われるためにやっているのではない。報いるためにやっているのだ。----鬼木誠

私が議員となって7年の月日が経ちました。365日、スーツを着て仕事をしない日はなく、休みもプライバシーもなく身を粉にして働く日々でした。

しかし、政治家に対する世の中の評価は手厳しいものがあります。「何をしているかわからない」「自分ばかり高給をもらって」「誰がやっても同じ」「全て政治が悪い」…。

いつ倒れてもおかしくないくらいのオーバーワークの中、これほどまで頑張っても少しも評価されないことに「政治家なんて、本当に報われないね。」と夫婦で嘆くこともたびたびでした。

しかしある日、私ははたと気づきました。「報われない? 俺は誰かに報われるためにこの仕事を選んだのだろうか?」

誰かに評価されるために政治家になったのではないのです。先祖や先人、全ての人々のおかげで社会の中で生かされていることに感謝し、その恩に報いるため、次の世代に良い国を残すために頑張っているはずなのです。

心ない人は、汚い言葉の限りを尽くして政治家をののしります。その言葉にいちいち傷ついていては、身が持ちません。誰に何と言われようと揺るがない、強い誇りと信念を持ち続けたいと思います。自分が正しいと信じることを、ただひたむきに貫くだけです。

2010年4月の言葉

大切なものなら大事にしなさい----鬼木誠の母のことば

それは、私が子供の頃の小さな出来事でした。私が手作りしたお気に入りのおもちゃが、ある日なくなってしまいました。「昨日までこのあたりにあったのに、おかしいな?」不審に思い、母にそのおもちゃがどこにあるか知らないか尋ねてみました。すると、「ああ! それならもう捨ててしまったよ! あなたが部屋中散らかしとうけん、片付けの時にゴミと思って捨てたよ。大切なものなら、ちゃんと大事に片付けときなさい。」との返答。

人は、大切なものは、失くしてしまって初めて大切だったと気づくのです。大切なものならば、失くしてしまわないように常日頃から大事にしていなければならないのです。だけど人は、大切なものに限って、そこにあって当たり前のように暮らしているんです。そこにあって当たり前のものがなくなって初めて、人はそれが「有り難い」ものだったと気づくのです。「ありがたい」っていうのはそういう意味なんだなと思います。

あなたにとって大切なものは何ですか? 十分大事にできていますか? それは有り難いものなんですよ。日々、感謝しましょうね。

2010年3月の言葉

政権は野党のときに作られる----第71代英国首相・マーガレット=サッチャー

「鉄の女」と呼ばれたイギリスの保守政治家、マーガレット=サッチャーの言葉です。チャーチルやサッチャーといったイギリスの保守政治家は、さまざまな名言を残しています。

今回のことばは政治の世界の話で、一般社会に生活するみなさんの心を打つものではないかもしれません。しかしながら、「政権」と「野党」という単語を他の単語に置き換えてみると、この言葉の持つ普遍性に気付かされます。野球選手の実力は、二軍でフォームを固める時期に作られます。芸人の実力は、売れない時代のすごし方で決まります。独立して商売をはじめる時にも、サラリーマン時代に築いた人脈と経験がものをいいます。春に咲く花も、冬の風雪の中で蕾をつけるのです。

野党となった自民党は今こそ自らの原点に立ち返り、国家国民のための政策作りをしなければなりません。昨夏に国民が望んだものは「政権交代可能な二大政党制」であったと思います。民主党の政策の是非を問い、日本再建への明確な構想・政策を示すことが、今、自民党がやるべき仕事です。

人は苦難の時代にこそ次の飛躍への準備をしていなければなりません。くじけている暇などないのです! どんなときにも日々の努力があってこそ未来が開けるのです。

2010年2月の言葉

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし----前楽天イーグルス監督 野村克也さん

先月24日に行われた第77回自民党大会にゲストスピーカーとして招かれた野村監督の言葉です。「野村再生工場」「優勝請負人」と言われた名将らしく、下野した自民党の再生に向けて示唆に富んだスピーチでした。

監督は「最下位になったチームからばかり声がかかる」とボヤいていましたが、一敗地にまみれた自民党はまさに敗者の悲哀を味わっています。「さまざまな幸運が重なり偶然に勝つことはあっても、負ける時には必ず負ける原因がある。敗北は偶然ではなく必然なのだ。」という野村監督の哲学が表れています。これを自民党に置き換えるなら、昨年の自民党の敗北は負けるべくして負けたのだということです。

野村監督はこうも言いました。「負けた時は誰だって反省するが、勝った時にはなかなか反省しない。そこに落とし穴がある。」長く権力の座にあり驕ってきた自民党は、未だかつて反省する場面がなかったのではないでしょうか? 野村監督はユーモアあふれる語り口の中で「自民党よ、いまこそ反省せよ!」と語りかけてくれたのではないでしょうか。「勝って驕らず、負けて腐らず」、得意の時にも失意の時にも、常に謙虚に足下を見つめて自らを省みることが必要です。「負けるのには必ず理由がある」のであるならば、次勝つためには負ける原因をなくす努力が必要です。その努力こそが「不思議の勝ち」を引き寄せる幸運を呼ぶのでしょう。真剣勝負の世界で54年間食ってきた超一流の野球人ならではの、なんとも含蓄深い言葉です。

2010年1月の言葉

雲外(うんがい)に蒼天(そうてん)あり

私の恩師である森田修学館館長・森田譲康先生が、今年の年賀状に書いていた言葉です。

暗く厚く垂れ込める雲の下で、「この不幸な状況はいつまで続くのだろう」と、時に人は希望を失ってしまいます。しかしそんな苦しい時こそ、明るい気持ちで前向きに行動しなければなりません。その雲の上にはいつだって輝く太陽と蒼い空が広がっているのです。

新政権下で外交・防衛などの国益が次々に損なわれている現状、危険で日本の将来に多大な悪影響を与える法案がまさに提出されようとしている状況、下野した自民党にはいかんともし難く、国の未来を思うとき、暗澹たる思いに絶望してしまいます。

しかし! どんなときにも、決して絶望してはいけないのです! 苦しい今を突き抜けたその先に、爽やかな空が見えることを信じて。

底の見えない不況に、日本中あらゆる業種の方々がもがいています。「いつまで、どれだけ頑張れば報われる日が来るのだろう…」絶望感に襲われることもあるでしょう。そんな時につぶやいてみてください。「雲外に蒼天あり」と。

希望を持って奮い立つ、新春にふさわしい激励の言葉です。

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