言霊〜Supiritual Words

2006年12月の言葉

トップに立つ人間にとってもっとも大事なこと、それは「勘」だ。――俺の空(本宮ひろ志)より

ずいぶん前に読んだ古いマンガの一シーンからの引用です。このセリフはさらにこう続きます。

「砂漠の真っ只中にひとり立たされた時、右へいこうが左へいこうがすべて自由だ。どこへでもいくことが出来る。どっちの方向にオアシスがあるか、どっちへいけば命が助かるか、水のありかをかぎだす勘さ!」

くだらないと笑われるかもしれませんが、この言葉の持つ説得力は今でも私の心に残っています。どっちに進むかを導く(lead)のがリーダー(leadaer)です。方向を決める人間の責任は重く、間違うことは許されません。勘などという目に見えないものに頼るのはあまりにいいかげんな話のようですが、リーダーには直感が大事だというのは間違いないことだと思います。誰にも先の見えない世界だからこそ、先を見通す目と直感を研ぎ澄ませなければなりません。こうした有形無形のリーダーシップを追求していきたいと、日々心がけています。

2006年11月の言葉

忙しい忙しいと言うな! 忙しいとは能力が無い者のセリフだ(森田修学館 館長 森田譲康)

「第二回 鬼木まことを大きく育てる会」の冒頭挨拶にて紹介させていただいた私の恩師の言葉です。

議員に当選してからしばらくの間、私は猛烈な忙しさに日々追われていました。二言目には「忙しい」ということを言い訳にしている自分がいました。

そんなときに戒められたのがこの言葉です。この言葉はさらにこう続きます。『いつも忙しいと言っていると、「あいつは仕事がさばけない奴だ」と思われてしまう。また、「そんなに忙しいのならもうあいつは誘わないでおこう」と人が離れていってしまう。いつも忙しぶっている人を見てみろ。そんな人に限ってたいして忙しくないものだ。忙しいのは自分だけではない。誰だって忙しいのだ。自分ばかりが忙しいような顔をするんじゃない』

そうです、誰だって忙しいんです。そんな中で時間を上手にやりくりしているんです。苦しい状況でも涼しい顔で乗り越えてみせてこそ、一流の人物なのです。

2006年10月の言葉

点滴、石を穿つ(てんてき、いしをうがつ)―――ことわざ

ポトリポトリと一滴づつ落ちるわずかなしずくでも、長い間同じ所に落ち続ければ硬い石にも穴をあけてしまうという意味。どんな小さな力でも辛抱強く努力すればいつかは必ず成功するというたとえ。

2002年の10月1日、平尾駅前からスタートした街頭演説が、今年で丸四年となりました。夏は汗をかき、冬は寒さにこごえながら、「おにきどんタイムズ」を配ってくれる妻や仲間達と共に、街頭に立ち続けました。議員となってからは本業の議会活動に専念するため頻度を落としましたが、議会と議会の間に発行する「おにきどんタイムズ」は、早や17号となりました。今でも街行く人々の反応は、時に冷たく、厳しさにくじけそうなこともありますが、地道な活動はきっと誰かが見ていてくれると信じて頑張っています。

2006年9月の言葉

勝った者が正しいのではない!正しい者が勝つ社会でなければならない!(松山千春さん)

歌手の松山千春さんが講演するのを聞く機会がありました。現在の社会風潮に対する警句として熱く発されたのがこの言葉です。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものです。勝った者が歴史を作り、自らの正当性を主張します。負けた者にはそれに異を唱える権利など残されていません。結果、勝った者のみが正義ということになってしまいます。それは「力=正義」という結論をまねきます。

人の世において「勝てば官軍」というのはひとつの真理でしょう。しかし「勝った者が正しいのではない」というのもまた真理だと思います。

正義というものは、力とは別の次元で語られるべきものだと思います。力のある人が勝つのではなく、正義を貫く人が勝つ社会にしたいものです。そのときに問われるのが私たちの良識です。力のある人に群がるのではなく、正義を貫く人を支えなければなりません。

正義とは、放っておいて自然と与えられるものではなく、幾多の苦難の道のりの上に実現されるものなのです。

2006年8月の言葉

雪と欲は、積もるほど道忘れる(東北地方のことわざ)

新聞のコラムの中で見かけたことばです。混乱と貧困の時代を生き抜いた、明治生まれのおばあちゃんの言葉として紹介されました。先人の言葉は含蓄深いものです。生活の中で身につけた知恵にはかないません。

お金が万能だという拝金主義の風潮は、最近に始まった話ではありません。いつの時代にも経済のあるところには格差があり、豊かさを貪る人間の姿がありました。多くの事件を見るたびに感じるのは「人間の冷静な判断を狂わせるのは欲である」ということです。負ける人のほうが多いからギャンブル産業の経営が成り立っているにもかかわらず、勝つことばかりを考えてギャンブルで生活を破綻させる人が絶えないのはわかりやすい例です。

欲というものは誰の胸の内にも潜んでいます。道を誤らないためには、自分の欲得を排する強い意志と冷静な判断が必要です。特に政治家は、公共の仕事と自分の利益を混同させてはいけません。欲をかいてはいないか、道を忘れてはいないか、常に自戒したいと思います。

2006年7月の言葉

断じて行えば 鬼神もこれを避く(史記)

断固として決行すれば、鬼神でさえもその激しい勢いに押されて道を避けるという意から、ためらわずに行えば成し遂げられないことはないということ。

政治家は、選挙という名の人気投票に勝ち抜かなければ仕事をすることができません。それゆえに、中身のないパフォーマンスに走ったり、世論に迎合したり、聞こえのいい言葉だけを並べる政治家も少なくありません。

パフォーマンス的公約が世の中を悪くすることもあります。激昂した世論が必ずしも正しいとも限りません。政治家は世をリードするリーダーであるべきです。人の意見にぶら下がるのはリーダーではありません。政治家は己の信念に基づいて、「私はこう思う!」と、恐れず堂々と持論を主張すべきです。それに共感する人々の支持によってリーダーが選ばれるというのが、民主主義のあるべき姿だと思います。

逆に、「物言えば 唇寒し 秋の風(芭蕉)」という言葉もあります。

明確な主張は角が立ちやすいものですし、言ったばかりに損をすることもあるでしょう(損するばかりと言っても過言ではありません)。しかしながら健全な議論を恐れていては、物事がいっこうに前に進んでいきません。断じて行えば鬼神もこれを避く! そう信じて、前に前に進んで行きたいと思います。

2006年6月の言葉

背私向公(聖徳太子)

政治家という職業が国民の信頼を失ってから、もうどれくらいの歳月が経つでしょうか。政治が果たすべき役割の大切さにもかかわらず、国民と政治との距離は遠ざかるばかりだと感じます。

聖徳太子は十七条の憲法でこう言いました。
「私に背き公に向かう、これ臣の道なり」

公人に一切のプライバシーを許さないという意味ではなく、「私の利益に背くことがあっても、公の利益を優先する、これが公職にある者のあるべき姿である」ということです。

日本にはこんなに古くから「公」の精神があったのです。公のために私を捨てるのが政治家であり、私のために公をむさぼるのは政治屋です。

豊かになったこの国から公共心が失われつつあります。国民にとっても政治家にとっても今必要なものは、自分の目先の利害得失ではなく、広くみんなの共通利益、そして将来の世代のためを思った行動なのです。

2006年5月の言葉

ロックンロールってなぁ、先に一歩突き抜けたヤツの勝ちなんだよ!(ミッキーカーチス)

私が高校生のころ、「イカす!バンド天国(通称:イカ天)」というテレビ番組が一世を風靡していました。その番組の中で、アマチュアバンドを審査していたミッキーカーチス氏が言い放ったのがこの言葉です。「先に一歩突き抜けたヤツの勝ち」という表現がカッコ良く、私にとって衝撃でした。

どの世界でも、他の人が主張しないことを先陣切って主張するのは勇気がいることです。その主張は突飛だ、異端だ、売名だと非難中傷を浴びます。しかしながらその口火を切る人がいなければ、膠着した状況は前に進みません。勇気を持って一歩突き抜ける存在でありたいものです。

ただしその主張は、目立ちたいがためのパフォーマンスであってはなりません。中身のある政策、信念に基づく主張、言わずにはいられない正義でなければなりません。次代を切り開く、新しい価値の創造に挑戦したいと思っています。

2006年4月の言葉

小さきは小さきままに、折れたるは折れたるままに、コスモスの花咲く
(しいのみ学園理事長 昇地三郎)

明治39年に生まれ今年100歳になる昇地三郎先生は、全国初の養護施設「しいのみ学園」を作った人物です。私は一度しかお会いしたことがないのですが、その明るさ・温かさとバイタリティーに圧倒されました。シンプルなこの言葉に中に、「生命とははかないものであり、それゆえに美しく尊いものである」ということが表現されています。大きな壁にぶつかり自分の弱さ小ささを思うとき、この言葉を思い出します。

「自分だって野に咲くコスモスのひとつ。思うようにいかないことなんていくらでもある。たとえ小さな力でも、自分のできることを一生懸命やり続けるんだ」

地道な活動には陽は当たらないものですが、私は私なりのコスモスの花を咲かせたいと思います。小さくても美しいと思ってくれる人が一人でもいれば、頑張って良かったなあと思えることでしょう。

2006年3月の言葉

今日なすべきことに全力を尽くせ。しからば明日は一段の進歩あらん。(ニュートン)

文字通り、「今日しなければならないことは明日に積み残さずに今日やりましょう。」と解釈することもできますが、私は最近別の解釈でこの言葉を噛みしめています。

私は政治への志を押し殺して、7年間銀行員として生活してきました。その間は休日を利用して選挙の応援に行ったほかは、一切の政治活動をしませんでした。銀行員としての本分に全力を尽くし、社会人としての信頼を得ることを心がけてきました。

一見遠回りのようでしたが、結果としてその行動は正しかったと思います。『先を急がず、今自分が置かれた立場の中で全力を尽くすこと』が大切です。今日なしたことの積み重ねが明日を創るのです。

2006年2月の言葉

ちょっとの勇気があれば、人生が楽しくなるね。(鬼木美智子)

たくさんの趣味を持って楽しく過ごしている伯父のことを話しているときに、伯母が会話の中でふと漏らした言葉です。感受性の強い私の妻は、それを聞いてグッときたそうです。

やりたいことや強く願っていることが、誰にも多かれ少なかれあることでしょう。しかし現実の生活がある中でそれを形にしていくには多くの困難が伴うものです。理想を現実に変えていく第一歩、それを踏み出す勇気が時として必要です。妻は自分を奮い立たせるときにはいつも、魔法のおまじないのように「ちょっとの勇気、ちょっとの勇気」とつぶやいているようです。

人生を楽しくするのもつまらなくするのも自分の行動次第です。目の前の困難を乗り越えようとする「ちょっとの勇気」。あなたも一歩踏み出してみませんか?

2006年1月の言葉

天下為公(天下をもって公と為す)――孫文

昨年の中国公式訪問の際、南京の国民政府総統府を訪れました。そこで目にした言葉が孫文直筆の「天下為公」でした。いい言葉だと感じた私は木製のレプリカを買って帰りました。いろいろな読み方や解釈がありますが、私は「天下は権力者の私物ではなく、公(そこに暮らす全ての人々)の為のものである」という意味にとっています。

今まさに日本に必要な観念が、この言葉に凝縮されてはいないでしょうか。人を犠牲にしても我欲で利潤を貪る民間企業、既得権益を守り保身を第一とする官僚、力の強い企業・団体とつながって身動きのとれない政治家……。昨年はそういったことを象徴する嫌な事件をたくさん見てきました。この国に公という精神は残っているのでしょうか?

人間は社会的動物です。自分だけが良ければ全て良いということには絶対なり得ません。公とは社会全体の利益です。社会全体が良くなることが自分の利益にもつながりますし、逆もまた然りです。社会全体を良くするために、行政がやるべきこと、民間がやるべきこと、私達ひとりひとりがやるべきことを整理し追求しようというのが私の今年のテーマです。

自由と豊かさだけを求めエゴイストになってしまった日本に、公の精神を取り戻したい」不肖未熟の身で僭越ながら、年頭にあたり今年の活動指針とさせていただきたいと思います。

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