言霊〜Supiritual Words

2008年12月の言葉

われいまだ木鶏たりえず――第35代横綱 双葉山定次

不世出の大横綱・双葉山の言葉です。木鶏とは中国の古典『荘子』に出てくる故事で、木でできた鶏のようにどんな挑発にも超然と構える最強の闘鶏を言います。

少年時代の負傷がもとで右目が失明状態だった双葉山ですが、そのことを誰にも告げずひたすら精進を続けました。横綱となった双葉山は69連勝という大記録を打ちたてます。連勝が途切れたその日、彼が友人宛に送った電報がこの言葉でした。

「イマダモッケイタリエズ」

木で作った鶏のように無心の境地に至れなかった自分を戒め、さらなる精進を誓った言葉です。孤高なまでに相撲道と向き合い、己の限界に挑み続けたその生き様は今も多くの力士の模範となっているということです。

双葉山ほどの大横綱でも木鶏となることはできなかったと言います。振り返って私自身を省みる時、いかに自分が小さいかということに気がつきます。日々の小さなことひとつひとつに悩み、傷つき、怒り、心を乱しています。相撲道にひたむきに打ち込み木鶏たろうとした双葉山の志の高さを見習いたいものです。政治家の一挙一動は世の中の厳しい目と批判にさらされますが、一喜一憂せず信じた道をひた進む木鶏となりたいと思います。

2008年11月の言葉

Easy come, Easy go.――ことわざ

簡単に手に入れたものは簡単に失われるという意味の英語のことわざです。逆から言えば、苦労して手に入れたものだけが自分の身につくということです。

戦後の日本は急速な経済発展を遂げ、今では世界中のあらゆるものが手に入る豊かな国となりました。しかし繁栄の一方で、物は溢れ、現在ではもはや飽食の時代となっています。人々は、ハングリー精神とでも言うのでしょうか、生きる力そのものをなくし、国家は目標を見失っています。

日本は「欲しい物全てが簡単に手に入る便利な社会」を求めて突っ走ってきたものの、それは労せずして果実を手にした世代をダメにしてきたと言えるかもしれません。

学生に将来の夢を尋ねると、ある学生は「楽して儲かる仕事がいい」と答えます。またある学生は「何をしていいかわからない」と言い、「どうしたらいいでしょうか?」と安易に答えを求めてきます。

自分の人生は自分の意志で切り開いていくしかないのです。「意志あるところ道あり」とするならば、意志なきところに道はないのです。

真に求めるものならば、楽して手に入れようなどと思わないことです。真に求めるものならば、簡単に諦めないことです。苦労して手に入れたものこそ価値があり、生涯にわたって自分の血肉となるのです。

若者には大志を持ってほしい! そしてその夢を叶えるためにはどんな苦労もいとわない覚悟と情熱で挑んでほしいと思います。

2008年10月の言葉

自分の頭で考え 自分の足で立つ

私が九大時代に所属したラグビーのクラブチーム・KRBのT先輩が新年会の挨拶の中でおっしゃった言葉です。

最近の世論はあまりに偏った方向に流れがちです。それはマスメディアによって一方的に流される情報を私達がそのままうのみにしていることに一因があります。ニュース番組のアナウンサー、ワイドショーのコメンテーターが、あらゆる事象を人のせいにして責め立てます。それらの情報は本当に正しいのでしょうか?

ここに一本のドラム缶が立っているとします。真横から見れば、確かに360度どこから見てもドラム缶の形は四角です。それをとらえて「四角だ! どう見ても四角だ!」と決めつけているのが今の報道の姿です。それは偏った一面的なものの見方です。ドラム缶を上から見ればその形は丸であり、ドラム缶の真実の姿は円柱形なのです。与えられた情報はそもそも偏っていることを知り、自分の目と耳で確かめ自分の言葉で語り、自分の価値観に照らして考える習慣が必要です。

また自分の足で立つという言葉には「人のせいにしない・人に依存しない」という意味があると思います。自分で考え、自分で行動した結果には自分が責任を持つという生き方、今の日本人に欠けていることだなぁと思わされる昨今です。

2008年9月の言葉

ならぬことはならぬものです――会津藩・藩士の子弟を教育する組織「什(じゅう)」における掟の結びのことば

先月、全国県議会の野球大会があり、会津若松市に行って来ました。市内で見かけた垂れ幕にこの言葉を見かけました。「ならぬことはならぬものです」! このフレーズのインパクトにあらためて心を奪われました。先日「おにきどん文庫」にて紹介した「国家の品格」でも取り上げられた言葉でしたが、白虎隊を育んだその土地で目にしたことで私の感慨もひとしおでした。

戦後教育を受け、私達は自由・平等・人権と言った価値観を学びました。それらが大事なものであることは確かなのですが、しかしこれらの価値観を盾に取った理屈に負けて大人が子どもに(また親に)言い負かされる場面を、これまでいくつも見てきました。「ならぬことはならぬものです!」そうした自信と迫力を持って、私達大人は(わが子に限らず)子どもの教育に関わっていくべきだと思います。

福島県ではこのフレーズを略して「NN運動」と名づけ展開しているそうです。「什の掟」の詳細は以下の通りです。

  1. 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
  2. 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
  3. 三、虚言をいふ事はなりませぬ
  4. 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
  5. 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
  6. 六、戸外で物を食べてはなりませぬ
  7. 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
2008年8月の言葉

男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ――呉の武将・呂蒙(三国志演義より)

呉の武将・呂蒙(りょもう)は勇猛さでライバル国の魏や蜀にもその名が響いていた。その一方呂蒙は無学だったので、君主の孫権が少しは学問を学び人間の幅を広げるよう呂蒙に諭した。それから時が流れて、呉が蜀の名将・関羽と対峙した際、呂蒙は関羽の性格を分析し適切な献策をした。呂蒙は学問に励み、いつしか勇に智が伴う武将になっていたのだ。これに驚いた周囲の人達に呂蒙が言った言葉が「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」。『志ある人物は(今は未熟なところがあっても)、別れて三日もすれば目をこすってよく見なければならない(くらいにしっかり修練を積んで立派になるものだ)』ということ。日本では「男子三日会わざれば刮目して見よ」という意訳が有名な故事成語となっている。

毎年9月になると福岡青年会議所では理事を選ぶ選挙が行われます(無投票のこともありますが)。選挙で人から投票してもらうというのは大変なことで、自分の思いを言葉で伝える能力やリーダーシップが厳しい目で問われます。しかし選挙で衆目にさらされるその数日間で、立候補者の中には飛躍的な成長を遂げる人が出ることがあります。私自身、思い起こせば高校受験やラグビーの夏合宿、そして県議選……極限状態の中に身を置き修練を積むことで、今まで越えられなかった自分の壁を越えることができるのです。今日の自分は昨日の自分ではない! 日々新たに成長を続けること、人に真似できないほどの努力により自信を積み重ねることが必要です。「今は未熟な自分だけれど、今に見ていろ俺だって!」そうした気概で日々を精一杯生きていれば、三日後の自分はひとまわり大きくなっていることでしょう。

2008年7月の言葉

「炎天」
人皆我を忘れ、涼を求め貪る。我ら理想を求め、灼熱の道を歩まん。
――森田修学館 館長 森田譲康先生

私の出身塾・森田修学館では、受験勉強だけでなく、社会性の醸成や人格形成を目的とした精神性の高い教育が行われています。塾の入り口には大きな黒板が掲げてあり、そこには故事や格言・館長先生自らの言葉など、塾生達に刺激を与えるメッセージが書かれています。私はその「黒板事項」と呼ばれるメッセージに大きな影響を受けてきました。毎月このホームページで更新する「今月のことば」も、「黒板事項」を模倣したメッセージ形式だと言っても過言ではありません。

この「炎天」という詩は館長先生が自作されたものです。理想があるのならば、誰もが安きに流されるときにも、敢えて灼熱の道を歩め! という檄です。

熱い夏がまたやってきます。炎天下にもたゆまず一歩ずつ歩んで行こうと思います。

2008年6月の言葉

只今其時、其時只今(ただいまがその時、その時がただいま)――山本常朝

佐賀藩士・山本常朝の武士道論を聞き書きした書、『葉隠』に出てくる言葉です。「その時」とは「人生の大事な場面」と訳してみるとわかりやすいでしょう。「今が人生の大事な場面、人生で大事な場面は今」ということです。

例えばあなたが野球の選手で、いつの日か大リーグの舞台でホームランを打ちたいと夢見ているとします。そのとき大事なことは何でしょう? 私の答えは「日々の一打席、日々の素振り一つに全力を尽くすこと」です。

人生において自分にチャンスがいつ回ってくるかは誰にもわかりません。チャンスの女神は気まぐれです。待てど暮らせどチャンスの欠片も見えない日々を送っていても、思いも寄らないときに突然チャンスが巡ってくることもあります。突然に代打が告げられいきなり打席に立たされたとき、その乾坤一擲のチャンスに結果が出せるかどうかが勝負なのです。打席に立ってジタバタするようではヒットもおぼつきません。来るべきチャンスを信じて平時の努力を怠らないこと、大舞台で打席に立っても気後れしないだけの自信を平時の努力によって身につけること、その心構えがある者こそがチャンスをものにすることができるのです。今がその時である、という真剣さで日々を過ごすことが成功への道なのです。

2008年5月の言葉

OTAGAISAMA〜お互いさま――日本の慣用句

日本に昔から伝わっている慣用表現にはさまざまな良い言葉があります。ケニアのノーベル平和賞受賞者・ワンガリ=マータイさんによって世界的に有名になった「MOTTAINAI(もったいない)」、日本青年会議所が力を入れている「OMOIYARI(思いやり)」などです。私が次に日本の心を世界に紹介するならば……この言葉なんてどうでしょう?

古来、農耕民族として自然と共に生きてきた日本人には、自然を畏れ敬う気持ちや、いいときもあれば悪いときもあるという無常観、家族や地域といった共同体の絆を大切にする心などが育まれてきました。そうしたメンタリティから生まれた発想が「お互いさま」です。困った人がいればゆとりのある人が助けてあげる、そこには何の理屈も打算もありません。自然な気持ちの中で生まれ、自然に実践される相互扶助の心です。

今の日本にお互いさまの心がどれだけ残っているでしょうか? 自分の権利を主張することばかりに心を奪われていないでしょうか? 社会の中で自分が生かされていることに感謝し、社会の一員として善く生きることが大事だと私は思います。それは決して大きな話ではなく、身近なところから始められることだと思います。身近な仲間が困っていれば、自分のできることをしてあげる。話を聞いてあげるだけでもいい、励ましてあげるだけでもいい、駆けつけてあげるだけでもいい。自分にできることをするのが、最大にして最高の、社会を善くする方法です。

時間も労力も費用もかかって、うまくいかなければ逆恨みされることだってあるのですから、人助けは割に合わないことも多いものです。「自分もそんなに楽じゃない状況で、なんでそんなに人にしてあげられるの?」そう聞かれたとき、笑顔でこう答えられたらと思います。

「僕も今までずいぶん人から助けられてきたけんね。困ったときはお互いさまたい。」

2008年4月の言葉

身支度半分(みじたくはんぶん)

西日本銀行勤務時代、渡辺通支店の松本支店長がいつもおっしゃっていた言葉です。4年間の内勤で預金や融資の修行を積んだ後に営業担当になった私は、朝からカブ(50ccのバイク)に乗りお客様のところへ向かっていました。営業社員には毎月預金や融資の目標額があり、それをクリアするために汗をかく日々でした。

ある日の朝、張り切って支店を飛び出した割には、夕方帰って来たときには成果がありません。思わず夕方の営業会議で「今日は資料がなかったので交渉が進みませんでした」と苦し紛れの言い訳をしてしまった私……。そこでいただいた諌めの言葉がこの一言でした。

「出かける前の準備の段階で、仕事は半分終わっていなければならない。準備不足でお客様のところに行くのは、先方にとってもこちらにとっても時間を無駄にすることであり失礼なことだ。準備万端整えて自信を持って出かければ、交渉もスムーズに行く。どんなことでも大事なのは事前の準備で、ことが始まったときには決着がついているのだ」

四月、新年度を迎え皆さんの身支度はいかがですか? しっかり身支度を整え、夢に向かって頑張りましょう!

2008年3月の言葉

人生には解決なんてない。ただ進んでいくエネルギーがあるばかりだ。――サン=テグジュペリ(フランスの作家)

「星の王子様」などを書いたフランスの作家、サン=テグジュペリの言葉です。

高校時代、私が将来政治家になりたいということを告げたとき、アメリカからやってきた教師アラン・ガディ先生は興奮気味に何度も「SOLUTION!」という単語を口にされました。政治とはまさにSOLUTION(問題の解決)なのです。

しかしながらテクジュペリが言うように、「人生には解決なんてない」のと同様、世の中にも単純明快な解決法なんてそうそう転がってはいません。あちらを立てればこちらが立たぬというジレンマの中、さまざまな問題を解決しなければなりません。そんな時に必要なのが、「進んでいくエネルギー」なのです。問題解決への熱意と行動こそが、なんともならない問題をなんとかするのです。

人生の応用問題は小手先のマニュアルで解けるものではありません。全身全霊を賭けて火の玉となって立ち向かってこそ開く扉があります。岩より固い意志と炎のような実行力が必要です。

日々に流され目標を見失ってはいませんか? 目標に向かうエネルギーを充分燃焼させていますか? 人生がエネルギーの燃焼であるならば、充実した日々を送って完全燃焼したいものですね。

2008年2月の言葉

成功の要諦は、成功するまで続けることである――松下幸之助・松下電器産業創業者

言わずと知れた経営の神様・松下幸之助氏の言葉です。「そうか成功するまで頑張ればいいのか!」というシンプルで前向きな受け止め方も可能ですし、逆説的に「頑張り続ける気概のない人に成功はない」ととることもできますね。優しくも厳しくも受け取れるところがこの言葉の深いところのような気がします。

人は誰も失敗などしたいはずもなく、できることなら手っ取り早く成功したいものです。私のもとにも「どうすれば選挙に当選できますか?」といった問い合わせや取材がたまに来ます。そうした人の「どうすれば成功できますか?」という問いへの答えとも言えるのがこの言葉です。

人生には成功のマニュアルなどないのです。

サラリと「続ける」とおっしゃっていますが、その「続ける」ことが大変なのです。「失敗しても失敗しても成功するまで諦めず頑張り続ける」ということで、石にかじりついてもやり遂げる根性と熱意がなければ成功はおぼつかないということでしょう。その覚悟なしに簡単に成功などはないのです。

逆に、どんなに不可能に思える道のりであっても、諦めない限り成功への道は閉ざされていないのだという希望の言葉でもあります。「そんなことは無理だよ」と簡単に人の夢や努力を否定する人もいますが、愚直であっても一歩一歩前へ進み続ける人に、私はエールを贈りたいと思います。

2008年1月の言葉

自分が投げたボールが自分に返ってくる――友人・高橋努武さんのことば

昨年末に福岡青年会議所を卒業された先輩・高橋努武さんの言葉です。仏教にも造詣の深い高橋さんは青年会議所内にも信者(?)が多く、彼を尊敬し慕う後輩たちにいつも囲まれていました。いわゆる「因果応報」の概念をわかりやすく表現したのがこの言葉です。

経営の苦労、組織運営の悩み、人間関係のトラブル、さまざまな相談に対して高橋さんはこう答えます。「人にはいろんな悩みがある。でもそのときによく考えてごらん。全部自分がやったことが返ってきようとよ。自分が投げたボールが、そのまま自分のとこに返ってきようと。自分にふりかかる全ての問題は、自分が引き起こしとうとよ。人のせいにしちゃいかんよ。まず自分のことを振り返ってごらん。必ず自分の中になおさんといかんところがあるけん」

確かに、人は苦しいとき、その原因を外に求めがちです。しかしこの言葉は「悩みの原因は必ず自分にある」としています。人のせいにして悪口を言う前に、自分に非はないのか振り返ることが必要です。自分にできる最善は、自分の行いを善くすることなのです。

私自身に対する反省も込めて、この言葉を本年最初のことばとさせていただきます。

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