福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

「視察」に分類された日記

2005年02月03日

ベトナム・カンボジア視察記(三日目)

カンボジア最終日、今日は昨日よりも生々しい形で戦争の残酷さ、悲惨さを目の当たりにする。朝からキリングフィールド(殺戮の戦場)と呼ばれる地へ向かった。内戦時、ポルポト派の大量虐殺により、この地では300万人とも言われる人々が亡くなった。内戦後しばらくはその無数の亡骸が荒れ野にさらされた。それらの遺骨を拾い集め、ガラス張りの慰霊塔に積み上げたのがこの地である。二度とこのような惨事がないよう祈り、視察団で献花を行う。その後「アキラの地雷博物館」に向かう。アキラとは現地人の名前である。彼は地雷撤去のボランティアや、地雷被害の障害児の面倒をみる活動をしている。そして地雷や内戦の悲惨さを世に知らしめるべく、小さな博物館を運営している。過去の資料だけでなく、今も苦しむ人を見てさらに心が痛む。昼食後空路ベトナムへ。到着後、ベトナム戦争の記録博物館へ向かう。日本のガイドブックには「戦争証跡博物館」とあるが、現地ガイドは「戦争犯罪博物館」と言う。民族同士の殺し合い、ベトコンゲリラの抵抗、それをあらゆる手段で徹底撃滅する米軍、枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬け……。これらが全て過去の事実であるならば、我々は目をそむけてはならない。事実を歪めず直視し、未来に向けて行動せねばばらない。ベトナム人ガイドの言葉が突き刺さる。「アメリカを憎んでいるか?とよく聞かれる。戦争の過去は憎いが、私達はアメリカを憎み続けてはいない。ベトナムの歴史は侵略との抵抗の歴史だ。古くは中国、フランス、そして日本、アメリカ……。戦いの中で忍耐と寛容を身につけた民族だ。憎み続けることはしない。しかし、平和を脅かす者があるならば、命を賭けて再び戦うだろう。」

2005年02月02日

ベトナム・カンボジア視察記(二日目)

カンボジア視察は朝からフル回転。まずはバンテアイスレイ小学校を訪問。日本の旅行社がスポンサー支援をしている。木造平屋建ての校舎に800名の子ども達が学ぶ。日本からの寄付らしく、子どものシャツの胸ポケットには漢字で「○○中学校」との刺繍。視察団よりボールペンやサッカーボールを寄贈した。その後バンテアイスレイ遺跡を見学。昼食後、スナーダイクマエ(カンボジア人による、という意味)孤児院を視察。設立者のメアス=トミー氏は、難民として日本に滞在し教育を受けた。帰国後、祖国の子ども達の教育のために、自費と日本からの寄付により当施設を設立した。奥さんのメアス=博子さんは和歌山県出身。1人の子どもを持つ若き母は、40人の孤児達の母となった。その意志の強い瞳の輝きと献身的な生き方に感銘を受ける。ここでも同じく寄贈。その後、いよいよアンコールワットへ。どこから見ても壮大で美しい世界遺産に感嘆のため息。偉大な歴史の遺産と、今も残る過酷な内戦の傷を目の当たりにした。最高気温は40度を超える中、衝撃的な一日。

2005年02月01日

ベトナム・カンボジア視察記(初日)

9時福岡空港集合のため、8時に家を出る。前日からの降雪のためあらかじめタクシーを予約。ところが雪のために都市高がストップ。運転手さんの勧めにより地下鉄に乗り換える。ところがところが、朝のラッシュにぶつかり、トランクを抱えた私は乗り込むことができず、40分の足止め。やっと空港に着き、9時30分の視察団結団式になんとか間に合う。しかし、外貨両替のヒマがなく、日本円のみを持参し空路ベトナムへ。トラブル続きの心細いスタートとなる。5時間のフライトの後、ベトナム・ホーチミン空港着。2時間のトランジット待機を経て、空路1時間でカンボジア・シェムリアップ空港着。バスでホテルに向かい、夕食後就寝。移動に四苦八苦の一日。地下鉄3号線の開通を見ぬままの出発であり、少し気がかり。

2005年01月26日

産業振興な一日

今日は視察二日目、朝から百道にある「福岡システムLSI総合開発センター」に行きました。説明を受ける中で、産業としての価値や将来性について理解できました。これだけの価値がある研究開発も、こうして説明を受けてはじめて理解できます。県民の理解を深める努力も必要なのでは? と、センターの方々に伝えました。その後博多リバレインの地下にあるロボスクエアを視察し、二日間にわたる公務としての視察は終了しました。その後夕方からは、アクロス福岡で開催されたフクオカベンチャーマーケット(FVM)を個人的に見に行きました。年に2回開催されるビッグマーケット、今回は56社のベンチャーが出展しました。これまでのFVM参加企業は1000社を超え、上場を果たした企業もあります。マーケット終了後にはビジネス交流会にも出席しました。今日見た産業振興のための施策の数々、ここだけでは書き尽くせず、みなさんに伝えたいことがいっぱいです。

2005年01月25日

景気・雇用対策調査特別委員会

私が所属する特別委員会が上記の景気・雇用の委員会です。任期は2年なので、今回の委員会が最後の開催となります。2年間、副委員長として福岡経済活性化を調査研究してきました。今日は午前中に正副委員長勉強会、つづいて午後から委員会の開催でした。委員会での議題は、ダイエーの再生状況、福岡県の自動車産業の近況、新生活産業の振興、についてでした。それぞれ内容が深く、県経済に与える影響は多大です。その後、委員と執行部(行政の部課長)による視察へと出ました。向かったのは大丸エルガーラにある「若年者しごとサポートセンター」。私は常任委員会でも商工生活労働委員会に所属しているので何度か足を運んでいるのですが、再び見学をしました。明日も福岡市内を視察します。

2004年11月29日

防衛議連、自衛隊視察

日本の防衛を真剣に考える超党派の議員連盟「防衛議連」で、自衛隊視察に行きました。大分県の玖珠駐屯地まで、片道90分のバスツアーでした。そこでの衝撃は、わずか10分ほどの講話でした。9/11(アメリカ同時多発テロ)のその時アメリカに駐留していたという成清一等陸佐の話は、この国が置かれている危機的状況をリアルに感じさせるものでした。ガンジーを崇拝し非戦を唱える私ですが、丸腰で皆殺しにあってもいいとは考えてはいません(ここがよく誤解されがちなのですが……)。この国を守ることについて異論はありません。ただその方法論において今現在のあり方に疑問を持っているのです。私の言うことが正しいのかどうか、日々勉強し、精査を繰り返しています。

2004年11月16日

視察、二日目

昨夜はホテルの部屋にパソコンを持ち込み、たまりにたまった仕事を片付けにかかりました。ところがその間他の委員は二次会に行っていたそうで、副委員長なのにひとり帰っていたことがひんしゅくをかったかもしれないと今日は心配でした。幸い委員も委員長もそういうことをうるさく言う人はいませんでしたが、付き合いや気配りが必要なのはなにもサラリーマンの世界に限りません。さて、今日は埼玉県の「ものつくり大学」に行きました。少数精鋭を最高の設備で鍛えています。しかしコストが合わないため、今後の設備更新が厳しいのでは、と感じました。午後はバスで東京に行き、東京証券取引所に行きました。3時すぎまでの見学でしたが、4時には西武鉄道の上場廃止の記者会見がここで開かれました。

2004年11月15日

埼玉にて

今日は景気雇用対策委員会の視察で埼玉に来ています。ここ、さいたま市は、合併により100万都市に仲間入りしたそうです。今、議員と県職員との懇親飲み会が終わり、ホテルの部屋に戻ったところです。ひさしぶりにゆっくり落ち着いて原稿を書く時間ができました。地元にいれば二十四時間仕事が舞い込み、なかなか自分の時間が持てません。議会閉会中に作成するおにきどんタイムズも、完成間近にして足踏み状態が続いています。日記が書けないほど忙しいときにこそ中身のある仕事をしています。そこで頑張ってみなさんに情報発信していくことこそ、価値ある仕事だと思っています。忙しさに負けず頑張ります!

2004年11月09日

結婚記念日に

今日11月9日は、私の結婚記念日です。25歳で結婚して、もう丸7年になります。昨夜は嫁さんとケーキを食べて祝いました。さて今日は商工生活労働委員会で県内の視察に行きました。午前中に委員会が開かれ、報告や質疑の終了後に視察地へと向かいました。まずは天神エルガーラの12階にできた「若年者しごとサポートセンター」です。働きたい若者をサポートする施設の現状を見ました。次に私の地元である唐人町商店街に行きました。「商店街の存在価値は地元とともに発展することにある」という振興組合の理事の方の言葉が重く響きました。夜は筑紫野市の大丸別荘に宿泊、福岡の観光資源である温泉地を視察しました。

2004年07月14日

北九州視察

7月13日から商工生活労働委員会で北九州視察に行きました。昼食後、県庁をバスで出発し、宮田町のトヨタ自動車九州、そして安川電機に行きました。総務や広報担当の職員さんから会社の概要や雇用の情勢を聞き、工場の現場を見ました。その日は小倉に一泊し、翌朝は北九州市民劇場に行きました。ここは11月に福岡県で開催される国民文化祭の閉会式が行われる会場です。一流の劇場を維持管理する苦労や工夫が垣間見えました。最後に、福岡県が誇るロボット産業のパイオニア企業・テムザックに行きました。「留守番ロボット・番竜」や「災害救助ロボ・援竜」の実物を見ました。一泊二日ながら、北九州の先端産業が盛りだくさんでした。

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