福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

「視察」に分類された日記

2006年02月08日

視察って言いたくない

今日から3日間、厚生環境委員会で屋久島・鹿児島視察に行ってきます。面会のアポや日程の打ち合わせなどのときに「この日は視察がありまして……」と言うと、「先生また視察ですか〜!いいですねぇ。」と、さも遊びに行っているかのように皮肉を言われます。議会閉会中の日程は、県内・県外・国外と視察が立て続けに入ってきて肉体的にもハードです。行かなくていいものなら行きたくないと思うこともたびたびです(公費で勉強させていただいているのに申し訳ありません……)。議員が見聞を広めることは重要だと思うのですが、とにかく視察というとイメージが悪過ぎるようで、もう視察があるとは言いたくなくなるくらいです。視察に限らず、真面目に頑張っているのに割に合わないと思うことがたくさんあります。

2005年11月09日

委員会視察

8日の午前中、厚生環境委員会が開催されました。審議のテーマは大きく分けて2つ、「障害者自立支援法の概要について」と「産業廃棄物業者への行政処分について」でした。障害者にも応分の負担を迫る自立支援法、産廃業者の杜撰な廃棄物処理……どちらも深刻な問題です。午後からは、バスに乗り行政視察に向かいました。行き先は大牟田リサイクル発電所。生活ゴミを高熱で燃焼させることで、ダイオキシンを発生させずかつ電力を生みだすという夢のような施設です。しかしこの発電所も爆発事故や予想外のコスト高が問題になっており、その現状を調査しました。そして一泊した今日は、午前中に太宰府病院を視察。毎年何億もの赤字を出してきた県立病院のひとつでしたが、今年から民営化されました。これだけの重要テーマに懸命に取り組んでいるのですが、視察というと議員のお遊び旅行だというイメージが定着していてやりきれないものがあります。

2005年10月30日

中国公式訪問

24日の集会は、おかげさまで出来過ぎなくらい盛会に終えることができました。来ていただいた方、ボランティアスタッフなど、関係者各位に御礼申し上げます。さてその翌日の25日から29日まで、県議会を代表して中国・江蘇省を公式訪問して来ました(訪問団は藤田議長を団長とした計8名)。江蘇省と福岡県は友好都市として13年の歴史を持っています。小泉首相の靖国神社参拝直後だったので訪問を心配する方もいらっしゃいましたが、江蘇省では未だかつて反日暴動やデモはないとのことでした。漢字が踊る町並みや稲穂が光る田園を眺め、中国と日本がはるか昔からつながっていることを実感しました。また田舎から都会まで、劇的に発展を遂げつつある中国のダイナミズムを目の当たりにしました。詳しいレポートをまとめて公表したいと思っていますが、とにかく日々が忙しくてなかなか……。疲れが溜まって弱り気味です。体調を整えてからもうひと頑張りです!

2005年07月11日

エコタウン視察

朝から車に乗って北九州市へ。若松のエコタウンを視察するためです。若松市民グランドへはラグビーの試合でしょっちゅう行っていたのですが、不覚にも隣接するエコタウンには足を踏み入れたことがありませんでした。縁あって知り合った神戸市シルバーカレッジ生活環境コースの方々と、九州工業大学の白井教授のお話を聞きました。捨てても土に戻るという生分解性プラスチックの研究についてうかがいましたが、研究内容そのものよりも「いかにコストを下げ、市民の理解を得て、普及させるか?」について熱心な社会実験が行われていることに共感を覚えました。また、話題はゴミ処理や地球温暖化にも及びました。この秋から福岡市もゴミ袋が有料化となりますが、ゴミ処理には高いコストがかかっていることを認識しました。これからの世の中、受益と負担の問題は、あらゆる分野において国民レベルで認識を深めるべき論点です。

2005年06月27日

綾町視察

私の所属会派「緑友会・新風」の議員7名で、宮崎県綾町に視察に行きました。わざわざ宮崎まで何をしに行ったのかというと、自然生態系農業の取り組みを見るためです。綾町は自然生態系を活かした有機農業の振興により、町おこしに成功しました。日本初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定したことでも知られています。視察の中で特に感銘を受けたのは、現在に至る道筋を作ったリーダーの決断でした。昭和40年代、経済成長まっただ中の日本ではパルプの原料が不足しました。政府は全国の照葉樹林を伐採する政策を進めました。時のリーダー郷田実前町長は「町の宝である森林を滅ぼしてはならない!」と反対運動を開始、その結果伐採は中止され、逆に国定公園の指定を受けました。その後、自然という資源を活かして町が推進したのが有機農業です。理念と信念に基づいたリーダーシップが町の未来を創るのだと痛感しました。

2005年02月10日

関西視察・三日目

神戸のホテルをチェックアウト後、ホテル近くの港の震災跡を見学。屋外に、パネル展示やガタガタに壊れた防波堤などが保存してあった。復興の足取りをつづるパネルでは、震災後のハード面の復旧が意外な早さで進められていたことを知り驚く。そこから新長田駅南商店街へ向かい、商店街の復興を視察。ケミカルシューズの製造を産業として賑わっていた町も、震災や中国製品の台頭により窮地に立たされる。しかし地元の力を合わせ、名物「ぼっかけ(牛スジの煮込み)」の商品化・ブランド化や、各種イベントで賑わいを取り戻す。その努力の様子におおいに刺激を受ける。午後、新幹線で帰福。夜は飲みごと。休みのない日々、疲れもたまり気味。

2005年02月09日

関西視察・二日目

昨日はバスで京都に戻り、京都泊。朝から京都府の若年者就業支援センターを視察。福岡県のしごとサポートセンターよりも一年早くスタートした施設ということで、取り組みや課題をうかがう。午後からは京都伝統産業ふれあい館へ。伝統産業をいかにして守るかを考えさせられた。福岡にも久留米絣や八女提灯など指定8品目があるが、京都はさらに品目数が多い。京都は歴史観光資源に恵まれており、観光とセットで付加価値をつけることができるのが羨ましい。職人の手作業を見たが、とてもじゃないが日本の人件費では大量生産や海外物と戦えないと感じた。「文化には金がかかる」という言葉が京都ではことさらに重い。またまたバスで移動し神戸泊。

2005年02月08日

商工生活労働委員会、関西視察

8日10時、博多駅集合。新幹線で京都へ。京都からはバスに乗り、滋賀の産業支援プラザへ。ベンチャー育成においては福岡のほうが上だと感じたが、一つだけ感心したことが!インキュベーション施設の中に、地元銀行の店舗を発見!滋賀銀行とびわこ銀行が入っていたのだ。ベンチャーだ直接金融だともてはやされるが、現実的に今の日本ではまだまだ間接金融の果たす役割は大きい。明らかに閑散としてペイしていない銀行店舗だったが、ベンチャー支援に理解を示し入居した銀行に拍手を送りたい。私が銀行員として勤務していた大名の店舗は、創業間もないピエトロさんや一風堂さんとの取引が金の卵となった。地域とともに発展する醍醐味が地銀にはある。

2005年02月05日

ベトナム・カンボジア視察記(最終日)

午前6時35分、5時間のフライトを終え関西空港に着く(二時間の時差があるためホーチミン空港は23時30分発)。乗り換えまでの待ち時間に喫茶店に入り、先輩議員から県議会の歴史やこれからの展望を聞く。今回は国際交流議員連盟の有志での視察だったため、党派を越えた参加があった。日頃あまり会話をしたことのない他会派の議員とたくさんの話をし、新しい人脈や情報を得た。今回の視察は、アジアの経済発展とその陰に存在する戦乱の傷を体感した。また日本の政府や民間による経済援助や、海外でいきいきと貢献する日本人の姿を見た。これからのアジアの時代、私達がなすべきことを考える貴重な機会であった。午前11時に福岡空港に着く。機中ウトウトしたもののやはり寝不足気味。明日からさっそく仕事だ。今日は家でゆっくり眠ろう。ある支持者の方が言ってくれた言葉を思い出す。「体を休めることも仕事ですよ。」

2005年02月04日

ベトナム・カンボジア視察記(四日目)

今日も朝からベトナム戦争の傷跡を見た。ホーチミンから車で約一時間半、クチという町に行く。ここは、ベトナム戦争中に北ベトナムによって掘られた、対アメリカ用の地下トンネル網があることで有名だ。モグラのように穴の中からゲリラ戦を展開し、アメリカ軍を翻弄したという。アメリカ軍もその穴に毒ガスを噴入して応戦。お互いを死力を尽くして殺し合う歴史をまざまざと垣間見た。祖国を、家族を守るベトコンに対し、アメリカに何の大義があったのだろう。昼食後、ホーチミン市内の「若者の家」を訪問。NGO「国境なき子どもたち」が、現地の孤児やDV被害の子どもの生活を引き受け、教育を施している。ここにも日本人の女性スタッフが。日本では女性のほうが国際貢献の意欲やバイタリティが強いのだろうか?市場をゆっくり見る日程だったが、視察地での見学が盛り上がったため時間がなくなり、市場はスーッと流す程度。夕食後、荷物をまとめ空港へ。免税店を覗く間もなく飛行機に滑り込む。機中泊。

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