福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

「視察」に分類された日記

2005年02月10日

関西視察・三日目

神戸のホテルをチェックアウト後、ホテル近くの港の震災跡を見学。屋外に、パネル展示やガタガタに壊れた防波堤などが保存してあった。復興の足取りをつづるパネルでは、震災後のハード面の復旧が意外な早さで進められていたことを知り驚く。そこから新長田駅南商店街へ向かい、商店街の復興を視察。ケミカルシューズの製造を産業として賑わっていた町も、震災や中国製品の台頭により窮地に立たされる。しかし地元の力を合わせ、名物「ぼっかけ(牛スジの煮込み)」の商品化・ブランド化や、各種イベントで賑わいを取り戻す。その努力の様子におおいに刺激を受ける。午後、新幹線で帰福。夜は飲みごと。休みのない日々、疲れもたまり気味。

2005年02月09日

関西視察・二日目

昨日はバスで京都に戻り、京都泊。朝から京都府の若年者就業支援センターを視察。福岡県のしごとサポートセンターよりも一年早くスタートした施設ということで、取り組みや課題をうかがう。午後からは京都伝統産業ふれあい館へ。伝統産業をいかにして守るかを考えさせられた。福岡にも久留米絣や八女提灯など指定8品目があるが、京都はさらに品目数が多い。京都は歴史観光資源に恵まれており、観光とセットで付加価値をつけることができるのが羨ましい。職人の手作業を見たが、とてもじゃないが日本の人件費では大量生産や海外物と戦えないと感じた。「文化には金がかかる」という言葉が京都ではことさらに重い。またまたバスで移動し神戸泊。

2005年02月08日

商工生活労働委員会、関西視察

8日10時、博多駅集合。新幹線で京都へ。京都からはバスに乗り、滋賀の産業支援プラザへ。ベンチャー育成においては福岡のほうが上だと感じたが、一つだけ感心したことが!インキュベーション施設の中に、地元銀行の店舗を発見!滋賀銀行とびわこ銀行が入っていたのだ。ベンチャーだ直接金融だともてはやされるが、現実的に今の日本ではまだまだ間接金融の果たす役割は大きい。明らかに閑散としてペイしていない銀行店舗だったが、ベンチャー支援に理解を示し入居した銀行に拍手を送りたい。私が銀行員として勤務していた大名の店舗は、創業間もないピエトロさんや一風堂さんとの取引が金の卵となった。地域とともに発展する醍醐味が地銀にはある。

2005年02月05日

ベトナム・カンボジア視察記(最終日)

午前6時35分、5時間のフライトを終え関西空港に着く(二時間の時差があるためホーチミン空港は23時30分発)。乗り換えまでの待ち時間に喫茶店に入り、先輩議員から県議会の歴史やこれからの展望を聞く。今回は国際交流議員連盟の有志での視察だったため、党派を越えた参加があった。日頃あまり会話をしたことのない他会派の議員とたくさんの話をし、新しい人脈や情報を得た。今回の視察は、アジアの経済発展とその陰に存在する戦乱の傷を体感した。また日本の政府や民間による経済援助や、海外でいきいきと貢献する日本人の姿を見た。これからのアジアの時代、私達がなすべきことを考える貴重な機会であった。午前11時に福岡空港に着く。機中ウトウトしたもののやはり寝不足気味。明日からさっそく仕事だ。今日は家でゆっくり眠ろう。ある支持者の方が言ってくれた言葉を思い出す。「体を休めることも仕事ですよ。」

2005年02月04日

ベトナム・カンボジア視察記(四日目)

今日も朝からベトナム戦争の傷跡を見た。ホーチミンから車で約一時間半、クチという町に行く。ここは、ベトナム戦争中に北ベトナムによって掘られた、対アメリカ用の地下トンネル網があることで有名だ。モグラのように穴の中からゲリラ戦を展開し、アメリカ軍を翻弄したという。アメリカ軍もその穴に毒ガスを噴入して応戦。お互いを死力を尽くして殺し合う歴史をまざまざと垣間見た。祖国を、家族を守るベトコンに対し、アメリカに何の大義があったのだろう。昼食後、ホーチミン市内の「若者の家」を訪問。NGO「国境なき子どもたち」が、現地の孤児やDV被害の子どもの生活を引き受け、教育を施している。ここにも日本人の女性スタッフが。日本では女性のほうが国際貢献の意欲やバイタリティが強いのだろうか?市場をゆっくり見る日程だったが、視察地での見学が盛り上がったため時間がなくなり、市場はスーッと流す程度。夕食後、荷物をまとめ空港へ。免税店を覗く間もなく飛行機に滑り込む。機中泊。

2005年02月03日

ベトナム・カンボジア視察記(三日目)

カンボジア最終日、今日は昨日よりも生々しい形で戦争の残酷さ、悲惨さを目の当たりにする。朝からキリングフィールド(殺戮の戦場)と呼ばれる地へ向かった。内戦時、ポルポト派の大量虐殺により、この地では300万人とも言われる人々が亡くなった。内戦後しばらくはその無数の亡骸が荒れ野にさらされた。それらの遺骨を拾い集め、ガラス張りの慰霊塔に積み上げたのがこの地である。二度とこのような惨事がないよう祈り、視察団で献花を行う。その後「アキラの地雷博物館」に向かう。アキラとは現地人の名前である。彼は地雷撤去のボランティアや、地雷被害の障害児の面倒をみる活動をしている。そして地雷や内戦の悲惨さを世に知らしめるべく、小さな博物館を運営している。過去の資料だけでなく、今も苦しむ人を見てさらに心が痛む。昼食後空路ベトナムへ。到着後、ベトナム戦争の記録博物館へ向かう。日本のガイドブックには「戦争証跡博物館」とあるが、現地ガイドは「戦争犯罪博物館」と言う。民族同士の殺し合い、ベトコンゲリラの抵抗、それをあらゆる手段で徹底撃滅する米軍、枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬け……。これらが全て過去の事実であるならば、我々は目をそむけてはならない。事実を歪めず直視し、未来に向けて行動せねばばらない。ベトナム人ガイドの言葉が突き刺さる。「アメリカを憎んでいるか?とよく聞かれる。戦争の過去は憎いが、私達はアメリカを憎み続けてはいない。ベトナムの歴史は侵略との抵抗の歴史だ。古くは中国、フランス、そして日本、アメリカ……。戦いの中で忍耐と寛容を身につけた民族だ。憎み続けることはしない。しかし、平和を脅かす者があるならば、命を賭けて再び戦うだろう。」

2005年02月02日

ベトナム・カンボジア視察記(二日目)

カンボジア視察は朝からフル回転。まずはバンテアイスレイ小学校を訪問。日本の旅行社がスポンサー支援をしている。木造平屋建ての校舎に800名の子ども達が学ぶ。日本からの寄付らしく、子どものシャツの胸ポケットには漢字で「○○中学校」との刺繍。視察団よりボールペンやサッカーボールを寄贈した。その後バンテアイスレイ遺跡を見学。昼食後、スナーダイクマエ(カンボジア人による、という意味)孤児院を視察。設立者のメアス=トミー氏は、難民として日本に滞在し教育を受けた。帰国後、祖国の子ども達の教育のために、自費と日本からの寄付により当施設を設立した。奥さんのメアス=博子さんは和歌山県出身。1人の子どもを持つ若き母は、40人の孤児達の母となった。その意志の強い瞳の輝きと献身的な生き方に感銘を受ける。ここでも同じく寄贈。その後、いよいよアンコールワットへ。どこから見ても壮大で美しい世界遺産に感嘆のため息。偉大な歴史の遺産と、今も残る過酷な内戦の傷を目の当たりにした。最高気温は40度を超える中、衝撃的な一日。

2005年02月01日

ベトナム・カンボジア視察記(初日)

9時福岡空港集合のため、8時に家を出る。前日からの降雪のためあらかじめタクシーを予約。ところが雪のために都市高がストップ。運転手さんの勧めにより地下鉄に乗り換える。ところがところが、朝のラッシュにぶつかり、トランクを抱えた私は乗り込むことができず、40分の足止め。やっと空港に着き、9時30分の視察団結団式になんとか間に合う。しかし、外貨両替のヒマがなく、日本円のみを持参し空路ベトナムへ。トラブル続きの心細いスタートとなる。5時間のフライトの後、ベトナム・ホーチミン空港着。2時間のトランジット待機を経て、空路1時間でカンボジア・シェムリアップ空港着。バスでホテルに向かい、夕食後就寝。移動に四苦八苦の一日。地下鉄3号線の開通を見ぬままの出発であり、少し気がかり。

2005年01月26日

産業振興な一日

今日は視察二日目、朝から百道にある「福岡システムLSI総合開発センター」に行きました。説明を受ける中で、産業としての価値や将来性について理解できました。これだけの価値がある研究開発も、こうして説明を受けてはじめて理解できます。県民の理解を深める努力も必要なのでは? と、センターの方々に伝えました。その後博多リバレインの地下にあるロボスクエアを視察し、二日間にわたる公務としての視察は終了しました。その後夕方からは、アクロス福岡で開催されたフクオカベンチャーマーケット(FVM)を個人的に見に行きました。年に2回開催されるビッグマーケット、今回は56社のベンチャーが出展しました。これまでのFVM参加企業は1000社を超え、上場を果たした企業もあります。マーケット終了後にはビジネス交流会にも出席しました。今日見た産業振興のための施策の数々、ここだけでは書き尽くせず、みなさんに伝えたいことがいっぱいです。

2005年01月25日

景気・雇用対策調査特別委員会

私が所属する特別委員会が上記の景気・雇用の委員会です。任期は2年なので、今回の委員会が最後の開催となります。2年間、副委員長として福岡経済活性化を調査研究してきました。今日は午前中に正副委員長勉強会、つづいて午後から委員会の開催でした。委員会での議題は、ダイエーの再生状況、福岡県の自動車産業の近況、新生活産業の振興、についてでした。それぞれ内容が深く、県経済に与える影響は多大です。その後、委員と執行部(行政の部課長)による視察へと出ました。向かったのは大丸エルガーラにある「若年者しごとサポートセンター」。私は常任委員会でも商工生活労働委員会に所属しているので何度か足を運んでいるのですが、再び見学をしました。明日も福岡市内を視察します。

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