7月24日
10時、警察庁官房会計課を訪問。予算要望の趣旨を説明。
井上委員長と六本木ヒルズで喫茶の後、解散。
八重洲へ行き、西日本シティ銀行東京支店を表敬訪問。中学の同級生や入行同期生、ラグビー部の先輩などたくさんの友人と会う。
16時、福岡へ。

10時、警察庁官房会計課を訪問。予算要望の趣旨を説明。
井上委員長と六本木ヒルズで喫茶の後、解散。
八重洲へ行き、西日本シティ銀行東京支店を表敬訪問。中学の同級生や入行同期生、ラグビー部の先輩などたくさんの友人と会う。
16時、福岡へ。
来年度の警察予算を増額してもらうために、警察委員会正副委員長と県警執行部で上京陳情。予算要望書を持って警察庁へ。治安対策のための警察官増員や、交通安全確保のための信号などの予算を要望。
11時、福岡空港発。15時、皇宮警察を表敬訪問。
夜は福岡県東京事務所の牛尾所長も合流し情報交換の懇親会。
防衛議員連盟の有志14名で、広島県・呉に視察に行って来ました。29日は朝から県庁に行き来客や事務作業、13時から新幹線に乗り博多駅を出発しました。広島市からは自衛隊のバスで呉市に移動、今年の4月にオープンした戦艦大和の博物館「大和ミュージアム」を見学しました。夕食時には、視察に帯同していただいた自衛隊福岡地方協力本部の方々と意見交換をしました。
翌30日は朝6時半にホテルを出発、江田島の海上自衛隊の朝礼を見学しました。江田島には世界3大兵学校と言われた海軍兵学校がありました。現在は幹部候補生学校になっています。当初の予定では艦艇見学をする予定だったのですが、額賀防衛庁長官の訪問が重なったためキャンセルとなりました。
中身の濃い一泊二日、感想をここで語り尽くすことはできませんが簡単に記したいと思います。
大和は日本の技術の粋を集めて作られた存在でした。それらの技術が戦後の経済発展の礎となったことを強く感じました。またそれほどまで秀でた技術があっても、戦闘の要が海戦から空中戦に移行した時代の流れの前に、大和は無残な最期を遂げました。特攻隊の遺書の展示もあったのですが、どれほどの若い命がむなしく散ったのかと悲しく思いました。これらのことから、リーダーが時代を見誤まることの罪深さを感じました。
一方、資料とともに残る先人の言葉、高潔な精神性には胸を打つものがありました。戦争の良し悪しとは別に、私たちは日本人としての誇りは忘れてならないと思います。
戦争については全否定でも全肯定でもなく、事実(歴史的に真実かどうかの検証も含めて)をよく検証しそこから何を学習するかが大事だと思います。先の大戦について検証し、これからの日本の防衛を考える機会として、たいへん有意義な視察でした。
3日からの中国訪問、全行程を終え8日の夜9時に無事帰ってきました。訪問初日の歓迎レセプション、福岡からやってきた総勢180名の訪問団は、江蘇省の代表団から盛大に迎え入れられました。その翌朝、とんでもないことがおこりました。前夜にはレセプション後も一緒に元気に飲んでいた宗像市の原田市長が、心筋梗塞で亡くなったのです。知事は急遽帰国、訪問団は一時騒然となりました。しかし民間の方も多数含んだ交流事業を完遂するために、その後の旅程は予定通りに行われました。いくつかの目的地に分かれたのですが、私のグループは南京から西安、そして上海へ行きました。西安はかつての唐の都・長安です。初めて訪れた兵馬俑や、蒋介石が拉致された西安事件の舞台など、歴史の重みに感嘆しました。隣りの大国・中国との関係は、日本にとってますます重さを増してきています。文化・歴史・国民性、それらを理解したうえで、上手につきあっていかなければなりません。その意味でも昨年から二度目の中国行きは貴重な経験となりました。
今日は鹿児島市の知的障害者施設を訪問しました(保健福祉部所管)。あさひが丘学園というこの施設、何を見に行ったのかというと第三者による施設の外部評価制度です。他所にさきがけて外部評価を受け入れているこの施設、評価内容まで見せていただきました。そこで気付いたのは、「福祉施設にも経営力が求められている」ということです。労務や人事管理、財務管理など、福祉以外の業務負担がかなり大きいと感じました。思いひとつで施設を立ち上げてこられた福祉関係者には厳しい現実です。さて、ここで視察は終わり一行は福岡に戻りましたが、私は帰りの便を遅らせてもらい、高校時代の恩師に会って帰りました。古武士然とした先生のご様子は昔と変わらず、桜島と並んで感慨深いものがありました。その後ラグビー部の練習を見に母校のグラウンドまで足を運んだのですが、今日は卒業予餞会だったとのことで練習は見られませんでした。
今日から3日間、厚生環境委員会で屋久島・鹿児島視察に行ってきます。面会のアポや日程の打ち合わせなどのときに「この日は視察がありまして……」と言うと、「先生また視察ですか〜!いいですねぇ。」と、さも遊びに行っているかのように皮肉を言われます。議会閉会中の日程は、県内・県外・国外と視察が立て続けに入ってきて肉体的にもハードです。行かなくていいものなら行きたくないと思うこともたびたびです(公費で勉強させていただいているのに申し訳ありません……)。議員が見聞を広めることは重要だと思うのですが、とにかく視察というとイメージが悪過ぎるようで、もう視察があるとは言いたくなくなるくらいです。視察に限らず、真面目に頑張っているのに割に合わないと思うことがたくさんあります。
8日の午前中、厚生環境委員会が開催されました。審議のテーマは大きく分けて2つ、「障害者自立支援法の概要について」と「産業廃棄物業者への行政処分について」でした。障害者にも応分の負担を迫る自立支援法、産廃業者の杜撰な廃棄物処理……どちらも深刻な問題です。午後からは、バスに乗り行政視察に向かいました。行き先は大牟田リサイクル発電所。生活ゴミを高熱で燃焼させることで、ダイオキシンを発生させずかつ電力を生みだすという夢のような施設です。しかしこの発電所も爆発事故や予想外のコスト高が問題になっており、その現状を調査しました。そして一泊した今日は、午前中に太宰府病院を視察。毎年何億もの赤字を出してきた県立病院のひとつでしたが、今年から民営化されました。これだけの重要テーマに懸命に取り組んでいるのですが、視察というと議員のお遊び旅行だというイメージが定着していてやりきれないものがあります。
24日の集会は、おかげさまで出来過ぎなくらい盛会に終えることができました。来ていただいた方、ボランティアスタッフなど、関係者各位に御礼申し上げます。さてその翌日の25日から29日まで、県議会を代表して中国・江蘇省を公式訪問して来ました(訪問団は藤田議長を団長とした計8名)。江蘇省と福岡県は友好都市として13年の歴史を持っています。小泉首相の靖国神社参拝直後だったので訪問を心配する方もいらっしゃいましたが、江蘇省では未だかつて反日暴動やデモはないとのことでした。漢字が踊る町並みや稲穂が光る田園を眺め、中国と日本がはるか昔からつながっていることを実感しました。また田舎から都会まで、劇的に発展を遂げつつある中国のダイナミズムを目の当たりにしました。詳しいレポートをまとめて公表したいと思っていますが、とにかく日々が忙しくてなかなか……。疲れが溜まって弱り気味です。体調を整えてからもうひと頑張りです!
朝から車に乗って北九州市へ。若松のエコタウンを視察するためです。若松市民グランドへはラグビーの試合でしょっちゅう行っていたのですが、不覚にも隣接するエコタウンには足を踏み入れたことがありませんでした。縁あって知り合った神戸市シルバーカレッジ生活環境コースの方々と、九州工業大学の白井教授のお話を聞きました。捨てても土に戻るという生分解性プラスチックの研究についてうかがいましたが、研究内容そのものよりも「いかにコストを下げ、市民の理解を得て、普及させるか?」について熱心な社会実験が行われていることに共感を覚えました。また、話題はゴミ処理や地球温暖化にも及びました。この秋から福岡市もゴミ袋が有料化となりますが、ゴミ処理には高いコストがかかっていることを認識しました。これからの世の中、受益と負担の問題は、あらゆる分野において国民レベルで認識を深めるべき論点です。
私の所属会派「緑友会・新風」の議員7名で、宮崎県綾町に視察に行きました。わざわざ宮崎まで何をしに行ったのかというと、自然生態系農業の取り組みを見るためです。綾町は自然生態系を活かした有機農業の振興により、町おこしに成功しました。日本初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定したことでも知られています。視察の中で特に感銘を受けたのは、現在に至る道筋を作ったリーダーの決断でした。昭和40年代、経済成長まっただ中の日本ではパルプの原料が不足しました。政府は全国の照葉樹林を伐採する政策を進めました。時のリーダー郷田実前町長は「町の宝である森林を滅ぼしてはならない!」と反対運動を開始、その結果伐採は中止され、逆に国定公園の指定を受けました。その後、自然という資源を活かして町が推進したのが有機農業です。理念と信念に基づいたリーダーシップが町の未来を創るのだと痛感しました。