福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

「委員会」に分類された日記

2005年03月14日

インターン生を放置

今日は朝から本会議にて補正予算の採決がありました。常任委員会や特別委員会の委員長報告もありましたが一時間足らずで本会議は終了、それから先は明日から始まる予算委員会の打ち合わせでした。県政の各論点について細かく質問項目を挙げ、それについて行政側から回答や対応を引き出します。ひとつひとつの項目についてこちらも充分な勉強が必要なので、5つも6つも質問するとなると準備がたいへんです。入れ替わり立ち替わりやってくる行政職員の方々と、みっちりやり取りします。その間インターン生の相手をする余裕はなく、私のやり取りをじっとそばで見ています。学生はいままで何事も手取り足取り教えてもらえたかもしれませんが、社会に出れば全て現場で自分で覚えていかなければいけません。これも勉強です。

2005年02月10日

関西視察・三日目

神戸のホテルをチェックアウト後、ホテル近くの港の震災跡を見学。屋外に、パネル展示やガタガタに壊れた防波堤などが保存してあった。復興の足取りをつづるパネルでは、震災後のハード面の復旧が意外な早さで進められていたことを知り驚く。そこから新長田駅南商店街へ向かい、商店街の復興を視察。ケミカルシューズの製造を産業として賑わっていた町も、震災や中国製品の台頭により窮地に立たされる。しかし地元の力を合わせ、名物「ぼっかけ(牛スジの煮込み)」の商品化・ブランド化や、各種イベントで賑わいを取り戻す。その努力の様子におおいに刺激を受ける。午後、新幹線で帰福。夜は飲みごと。休みのない日々、疲れもたまり気味。

2005年02月09日

関西視察・二日目

昨日はバスで京都に戻り、京都泊。朝から京都府の若年者就業支援センターを視察。福岡県のしごとサポートセンターよりも一年早くスタートした施設ということで、取り組みや課題をうかがう。午後からは京都伝統産業ふれあい館へ。伝統産業をいかにして守るかを考えさせられた。福岡にも久留米絣や八女提灯など指定8品目があるが、京都はさらに品目数が多い。京都は歴史観光資源に恵まれており、観光とセットで付加価値をつけることができるのが羨ましい。職人の手作業を見たが、とてもじゃないが日本の人件費では大量生産や海外物と戦えないと感じた。「文化には金がかかる」という言葉が京都ではことさらに重い。またまたバスで移動し神戸泊。

2005年02月08日

商工生活労働委員会、関西視察

8日10時、博多駅集合。新幹線で京都へ。京都からはバスに乗り、滋賀の産業支援プラザへ。ベンチャー育成においては福岡のほうが上だと感じたが、一つだけ感心したことが!インキュベーション施設の中に、地元銀行の店舗を発見!滋賀銀行とびわこ銀行が入っていたのだ。ベンチャーだ直接金融だともてはやされるが、現実的に今の日本ではまだまだ間接金融の果たす役割は大きい。明らかに閑散としてペイしていない銀行店舗だったが、ベンチャー支援に理解を示し入居した銀行に拍手を送りたい。私が銀行員として勤務していた大名の店舗は、創業間もないピエトロさんや一風堂さんとの取引が金の卵となった。地域とともに発展する醍醐味が地銀にはある。

2005年01月26日

産業振興な一日

今日は視察二日目、朝から百道にある「福岡システムLSI総合開発センター」に行きました。説明を受ける中で、産業としての価値や将来性について理解できました。これだけの価値がある研究開発も、こうして説明を受けてはじめて理解できます。県民の理解を深める努力も必要なのでは? と、センターの方々に伝えました。その後博多リバレインの地下にあるロボスクエアを視察し、二日間にわたる公務としての視察は終了しました。その後夕方からは、アクロス福岡で開催されたフクオカベンチャーマーケット(FVM)を個人的に見に行きました。年に2回開催されるビッグマーケット、今回は56社のベンチャーが出展しました。これまでのFVM参加企業は1000社を超え、上場を果たした企業もあります。マーケット終了後にはビジネス交流会にも出席しました。今日見た産業振興のための施策の数々、ここだけでは書き尽くせず、みなさんに伝えたいことがいっぱいです。

2005年01月25日

景気・雇用対策調査特別委員会

私が所属する特別委員会が上記の景気・雇用の委員会です。任期は2年なので、今回の委員会が最後の開催となります。2年間、副委員長として福岡経済活性化を調査研究してきました。今日は午前中に正副委員長勉強会、つづいて午後から委員会の開催でした。委員会での議題は、ダイエーの再生状況、福岡県の自動車産業の近況、新生活産業の振興、についてでした。それぞれ内容が深く、県経済に与える影響は多大です。その後、委員と執行部(行政の部課長)による視察へと出ました。向かったのは大丸エルガーラにある「若年者しごとサポートセンター」。私は常任委員会でも商工生活労働委員会に所属しているので何度か足を運んでいるのですが、再び見学をしました。明日も福岡市内を視察します。

2005年01月19日

大叔父の葬儀

昨日の早朝、街頭演説をしていると、父から携帯電話に連絡がありました。「今朝、六本松のおじさんが亡くなった。今夜が通夜で、明日が葬儀になる。」との緊急連絡でした。おじさんは私の祖父の弟、父からみた叔父にあたるので、六本松のおじさんと呼ばれていました。おじさんは陸軍士官学校を出て、戦中はハルピンにいました。戦後はシベリア抑留という苦労を経験されました。今日の葬儀はおじさんの修猷館の同級生や、陸軍の同期生の方々が参列されました。友人代表の方によるお別れの言葉はたいへん立派で、昔の日本人は偉かったなあ、とつくづく感じさせられました。出棺を見送った後、午後からは景気雇用対策委員会の正副委員長勉強会に出席、夜も会合2件に出席し、おじさんの初七日には参加できませんでした。

2004年12月15日

委員会にて

今日は商工生活労働委員会が開催され、3議案が可決されました。そこで私は再び起業家教育について発言しました。なぜ私がここまでこの事業に執着するのかを話しました。私は銀行員時代に数々の企業を見てきました。コツコツ自己資金を貯めて、夢を持って起業したものの、経営というものがわからずに倒産した人をたくさん見てきました。私の父は地場スーパーのユニードに勤めていました。ダイエーに合併された後、父は左遷の連続でした。学生の私を抱えて、父は屈辱にも耐えていました。大阪の清掃会社で掃除のおじさんをしていた時、阪神大震災にあいました。家族と離れて死ぬわけにはいかん!と、父は退職し、福岡に帰ってきました。小さな商売をはじめたのですが、経営の基本も知らない父は今でも損ばかりしています。その苦労を目の当たりにしてきたからこそ、子ども達には経済教育が必要だと思うのです。行政に対しては、縦割り行政を改め、真剣にこの事業の価値を考えてくれと伝えました。これ以上行政を責め立てては個人攻撃になるので、ここまでとしました。私の気持ちはなんとか伝わったのではないかと思っています。

2004年10月27日

少子化対策について質問

決算特別委員会(略して決特)二日目、私は昨年の決特に引き続き、二度目の少子化問題に対する質問をしました。私自身が結婚7年にして子どもがいないという状況です。自分のことを棚に上げて少子化対策を行政に問うのはたいへん恐縮だったのですが、仕事と割り切り質問しました。出生率を上げた先進国を例に挙げ、児童手当の充実、保育所入所待機児童の減少、延長保育の充実、乳幼児医療費の補助、などについて質問しました。実際のところ県というより国の施策や予算に頼むところが大きいのですが、県民のニーズを的確に捉えて対応していくことが大事であると主張しました。

2004年10月26日

決算特別委員会、始まる!

今日から決算特別委員会が始まりました。平成15年度の決算が出たことを受け、県政のあらゆる項目について議会がチェックをします。88人いる県議の中でも決算特別委員会に委員として参加できるのは31人です。我が会派からは私を含め5名が委員となりました。初日の今日は、県の事業会計についての質疑が行われました。私は会派を代表し、県立病院の民営化について質問をしました。毎年多額の赤字を計上する県立病院を民営化することは、避けて通ることのできない流れとなっています。職員の処遇など痛みを伴う部分については抵抗もありますが、なんとかうまく成功させたいと思います。

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