福岡県議会議員 おにき誠 公式ウェブサイト

「議会での活動」に分類された日記

2005年02月04日

ベトナム・カンボジア視察記(四日目)

今日も朝からベトナム戦争の傷跡を見た。ホーチミンから車で約一時間半、クチという町に行く。ここは、ベトナム戦争中に北ベトナムによって掘られた、対アメリカ用の地下トンネル網があることで有名だ。モグラのように穴の中からゲリラ戦を展開し、アメリカ軍を翻弄したという。アメリカ軍もその穴に毒ガスを噴入して応戦。お互いを死力を尽くして殺し合う歴史をまざまざと垣間見た。祖国を、家族を守るベトコンに対し、アメリカに何の大義があったのだろう。昼食後、ホーチミン市内の「若者の家」を訪問。NGO「国境なき子どもたち」が、現地の孤児やDV被害の子どもの生活を引き受け、教育を施している。ここにも日本人の女性スタッフが。日本では女性のほうが国際貢献の意欲やバイタリティが強いのだろうか?市場をゆっくり見る日程だったが、視察地での見学が盛り上がったため時間がなくなり、市場はスーッと流す程度。夕食後、荷物をまとめ空港へ。免税店を覗く間もなく飛行機に滑り込む。機中泊。

2005年02月03日

ベトナム・カンボジア視察記(三日目)

カンボジア最終日、今日は昨日よりも生々しい形で戦争の残酷さ、悲惨さを目の当たりにする。朝からキリングフィールド(殺戮の戦場)と呼ばれる地へ向かった。内戦時、ポルポト派の大量虐殺により、この地では300万人とも言われる人々が亡くなった。内戦後しばらくはその無数の亡骸が荒れ野にさらされた。それらの遺骨を拾い集め、ガラス張りの慰霊塔に積み上げたのがこの地である。二度とこのような惨事がないよう祈り、視察団で献花を行う。その後「アキラの地雷博物館」に向かう。アキラとは現地人の名前である。彼は地雷撤去のボランティアや、地雷被害の障害児の面倒をみる活動をしている。そして地雷や内戦の悲惨さを世に知らしめるべく、小さな博物館を運営している。過去の資料だけでなく、今も苦しむ人を見てさらに心が痛む。昼食後空路ベトナムへ。到着後、ベトナム戦争の記録博物館へ向かう。日本のガイドブックには「戦争証跡博物館」とあるが、現地ガイドは「戦争犯罪博物館」と言う。民族同士の殺し合い、ベトコンゲリラの抵抗、それをあらゆる手段で徹底撃滅する米軍、枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬け……。これらが全て過去の事実であるならば、我々は目をそむけてはならない。事実を歪めず直視し、未来に向けて行動せねばばらない。ベトナム人ガイドの言葉が突き刺さる。「アメリカを憎んでいるか?とよく聞かれる。戦争の過去は憎いが、私達はアメリカを憎み続けてはいない。ベトナムの歴史は侵略との抵抗の歴史だ。古くは中国、フランス、そして日本、アメリカ……。戦いの中で忍耐と寛容を身につけた民族だ。憎み続けることはしない。しかし、平和を脅かす者があるならば、命を賭けて再び戦うだろう。」

2005年02月02日

ベトナム・カンボジア視察記(二日目)

カンボジア視察は朝からフル回転。まずはバンテアイスレイ小学校を訪問。日本の旅行社がスポンサー支援をしている。木造平屋建ての校舎に800名の子ども達が学ぶ。日本からの寄付らしく、子どものシャツの胸ポケットには漢字で「○○中学校」との刺繍。視察団よりボールペンやサッカーボールを寄贈した。その後バンテアイスレイ遺跡を見学。昼食後、スナーダイクマエ(カンボジア人による、という意味)孤児院を視察。設立者のメアス=トミー氏は、難民として日本に滞在し教育を受けた。帰国後、祖国の子ども達の教育のために、自費と日本からの寄付により当施設を設立した。奥さんのメアス=博子さんは和歌山県出身。1人の子どもを持つ若き母は、40人の孤児達の母となった。その意志の強い瞳の輝きと献身的な生き方に感銘を受ける。ここでも同じく寄贈。その後、いよいよアンコールワットへ。どこから見ても壮大で美しい世界遺産に感嘆のため息。偉大な歴史の遺産と、今も残る過酷な内戦の傷を目の当たりにした。最高気温は40度を超える中、衝撃的な一日。

2005年02月01日

ベトナム・カンボジア視察記(初日)

9時福岡空港集合のため、8時に家を出る。前日からの降雪のためあらかじめタクシーを予約。ところが雪のために都市高がストップ。運転手さんの勧めにより地下鉄に乗り換える。ところがところが、朝のラッシュにぶつかり、トランクを抱えた私は乗り込むことができず、40分の足止め。やっと空港に着き、9時30分の視察団結団式になんとか間に合う。しかし、外貨両替のヒマがなく、日本円のみを持参し空路ベトナムへ。トラブル続きの心細いスタートとなる。5時間のフライトの後、ベトナム・ホーチミン空港着。2時間のトランジット待機を経て、空路1時間でカンボジア・シェムリアップ空港着。バスでホテルに向かい、夕食後就寝。移動に四苦八苦の一日。地下鉄3号線の開通を見ぬままの出発であり、少し気がかり。

2005年01月26日

産業振興な一日

今日は視察二日目、朝から百道にある「福岡システムLSI総合開発センター」に行きました。説明を受ける中で、産業としての価値や将来性について理解できました。これだけの価値がある研究開発も、こうして説明を受けてはじめて理解できます。県民の理解を深める努力も必要なのでは? と、センターの方々に伝えました。その後博多リバレインの地下にあるロボスクエアを視察し、二日間にわたる公務としての視察は終了しました。その後夕方からは、アクロス福岡で開催されたフクオカベンチャーマーケット(FVM)を個人的に見に行きました。年に2回開催されるビッグマーケット、今回は56社のベンチャーが出展しました。これまでのFVM参加企業は1000社を超え、上場を果たした企業もあります。マーケット終了後にはビジネス交流会にも出席しました。今日見た産業振興のための施策の数々、ここだけでは書き尽くせず、みなさんに伝えたいことがいっぱいです。

2005年01月25日

景気・雇用対策調査特別委員会

私が所属する特別委員会が上記の景気・雇用の委員会です。任期は2年なので、今回の委員会が最後の開催となります。2年間、副委員長として福岡経済活性化を調査研究してきました。今日は午前中に正副委員長勉強会、つづいて午後から委員会の開催でした。委員会での議題は、ダイエーの再生状況、福岡県の自動車産業の近況、新生活産業の振興、についてでした。それぞれ内容が深く、県経済に与える影響は多大です。その後、委員と執行部(行政の部課長)による視察へと出ました。向かったのは大丸エルガーラにある「若年者しごとサポートセンター」。私は常任委員会でも商工生活労働委員会に所属しているので何度か足を運んでいるのですが、再び見学をしました。明日も福岡市内を視察します。

2004年12月21日

教育基本法改正の意見書


本日で12月議会が閉会しました。最終日の今日は、予算や条例の他に意見書の採決がとられました。賛否が分かれる大きな論点としては、教育基本法の改正についての是非があげられます。県議会では、教育基本法の改正を促進する意見書を国に提出するかしないか激しい攻防がありました。激しいといっても議場での採決は整然と進みます。賛成の起立多数で可決となりました。激しいのは採決が始まる前の控え室でのやりとりです。教育基本法改正に反対する団体が議員控え室にやってきて抗議をされます。愛国心を教えることが戦争につながるとおっしゃるのですが、私はそれはあまりに極端な考えだと思います。国を愛すると言えば右翼と言われ、反戦平和と言えば左翼と言われる。そんな日本の風潮こそ歪んでいるような気がします。

2004年12月01日

12月議会、開会

今日から福岡県議会の12月議会が始まりました。初日の今日は、麻生知事から本議会の議案について説明が行われました。注目の三位一体改革については、ここでかなり詳しく所感を述べられました。夕方は県の職員の方と意見交換をしました。留守家庭の児童を、福岡市は17時までしか預かってくれない、という地域からの苦情を伝えました(ちなみに県内80%以上の市町村が18時以降までの預かりを実施しています)。県の言い分は「福岡市は政令指定都市なので、権限も財源も県にはない」とのことでした。そういえばホームレス問題の時もそういうことを言われたような……。福岡市とのパイプ作りが必要だと感じました。

2004年10月13日

9月議会、閉会

今日で9月議会が閉会しました。最終日には補正予算や条例案の採決があります。採決は、賛成の場合は起立、反対の場合はそのまま着席といった形でとられます。いつもながらこの採決というものは緊張します。勘違いなどで起立と着席を間違っただけで意思表明の結果が正反対になってしまうからです。そんな大事なことを間違う方が悪いというのももっともなのですが、充分に注意していてもいつも緊張します。9月議会の閉会後、10月26日から審議がはじまる「決算特別委員会」の正副委員長の互選がありました。夜はひさしぶりにライオンズクラブの例会に出席しました。

2004年06月23日

6月議会閉会

約一ヶ月にわたる6月議会が閉会しました。本議会の目玉となったのは、県立病院の移譲や産廃税条例、県警の不正支出問題や暴力犯罪対策、佐世保の同級生殺害事件を受けての県の対応、などです。特に県立病院については議案の付託(ある議題についての審議を委員会に任せること)を受けた委員会が紛糾し、審議がストップするなどの混乱がありました。閉会後は、今議会から我が会派から副議長に就任した重野副議長の就任祝いをしました。議会が終わりひと安心するのも一瞬で、明日からは参院選がはじまります。私は無所属ですので党の制約を受けることはないのですが、やはりいろいろな場面で選挙に関わることになります。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17メイン