- 政治を志したきっかけは?
小学5年生の時、担任の先生からクラスのみんなに対して一つの問いかけがありました。「どうして世界から戦争がなくならないのでしょう? あなたならどう行動しますか?」その問いに対する模範解答は「私は戦争反対です! 私が国民なら戦争反対と言います!」というものでした。
しかし私はその模範解答に強い違和感を持ちました。「人を殺したり自分や家族が殺されたり、戦争なんて誰もが嫌なもののはずだ。それなのに戦争が地球上からなくならないのは、戦争を起こす人がいるからではないだろうか? それならば、僕が将来大人になったら政治家になって、平和な社会を作ろう!」そう思ったのが始まりです。
- なぜ政治家になろうと決めたの?
私が3歳の時に死にかけたという話を、中学3年生のときに両親から聞きました。ネズミを駆除するために仕掛けた毒ダンゴを、幼少の私が拾って食べてしまったのです。泡を吹いて倒れた私を両親は病院に運び、三日三晩寝ずの看病が続きました。
三日目の夜、両親はドクターから呼び出されました。「子供の血管は細く、一度針を落とした血管には二度針を入れられません。両手両足、全ての血管に点滴を打ち、この血管への点滴が最後になります。今夜お子さんの病状が回復しないときには、残念ですが諦めてください。」そう言われて覚悟を決めた最後の点滴で、私は一命を取り留めたそうです。
その話を聞いて、私は涙が溢れて止まりませんでした。この私の命は親からいただいた命、お医者様から助けていただいた命、人様のおかげで生かされている命……。人から生かされている命ならば、私は世のため人のために生きなければならないと思いました。普通の子供ならここで「人の命を救うために医者になろう」と思うかもしれないのですが、私はこのとき、小学生の頃に思った「政治家になって世界を平和にする」という夢が強く蘇ったのです。
医者が患者を救うならば助かる命はひとつひとつ、政治家が戦争をしないならば助かる命は数千数万……。政治家が良い政治をするならば多くの人を豊かで幸せにすることができる! やっぱりこれだ! 僕は政治家になって人のために働くんだ! その思いが今日まで私の原動力となってきました。これが私の志です。
- どこで政治の勉強をしたの?
-
大学生の時に、衆議院議員の太田誠一先生のもとでボランティアで働きました。直接代議士に接する機会はあまりなかったのですが、地元の秘書の方々の下で選挙や日常の活動を学びました。選挙では、一人の政治家を生み出すために多くの人達が汗を流していることに感動しました。
秘書の生活は給料も安く休みもなく、それでも政治に夢と理想を持って人生を賭けている人達を見ました。テレビや新聞で見る政治の世界はスキャンダルと権力闘争にまみれていて、「こんな世界に一人で飛び込んでもどうにもならないんじゃないか」と思うこともあったのですが、太田事務所で汗を流す先輩方の姿を見て、「政治って素晴らしい! 政治でできることはたくさんある!」と、理想を持ち続けることができたのです。
その時の先輩方が、三船祐規 前県議会議員(糟屋郡)、月形祐二 県議会議員(前原市)、平畑雅博 市議会議員(福岡市早良区)、栗原渉 県議会議員(朝倉市)です。いつでも私を守ってくれる、心から信頼できる先輩方です。
- なぜ銀行に入ったの?
政治家になろうと思っていた私は、大学卒業後、代議士の秘書になるか松下政経塾に行こうかと模索していました。松下政経塾を見学に茅ヶ崎まで行き、職員の方からもぜひ来いと言われていたところでした。
ところがそこで太田事務所の先輩からあるアドバイスをいただきました。「いっぺん社会に出ろ! 地元で働け! いきなり政治の世界に入っても、政治家になるテクニックは覚えるかもしれないが、ろくな政治家にはならんぞ! 社会に出て、組織の中で仕事をして、給料をもらって、税金を払って、家族を養う……、そんな社会経験をしておかなければ、本当に人の気持ちが分かる政治はできん。就職して結婚してそれでも政治をやりたいと思ったら、また戻って来い!」そう言ってくださった先輩のアドバイスにしたがって、地元で就職活動を始めました。
銀行に入ったのは、経済を学び地元の人脈を作るためです。それまで政治のことで頭が一杯だった私にとって、経済を学んだことは本当にいい勉強になりました。
- なぜ銀行を辞めて選挙に出たの?
銀行員生活はたいへん充実していました。私も結婚し、何不自由ない暮らしでした。しかしその頃、大変な不況がやってきて企業倒産が倍増、銀行は貸し渋りで叩かれる日々でした。しかしその貸し渋りは、私に言わせれば国の金融政策が元になって生じたものでした。
3万円あった日経平均株価も7千円まで暴落、国の借金も400兆円に倍増しました。このまま銀行にいれば私の暮らしは安泰かもしれない。しかしこのまま放っておけば日本という国が潰れてしまうのではないか?! そんな危機感が日を追って強まりました。もともと政治家になりたいと思って入った銀行に、生活のためこのまましがみついていていいのか!? 自問自答の日々を送りました。今始めなければ間に合わない! 今やらなくていつやるんだ! 自分を奮い立たせて出馬を決めました。
- 出馬に家族は反対しなかった?
-
ただの一サラリーマンが会社を辞めていきなり県議選に出るなんてそんなの無謀過ぎると、家族も職場も皆反対でした。支店長は私の退職届けを人事部に提出しませんでした。銀行の専務が、平社員だった私のところに引き留めに来てくださいました。銀行のOBだった義父も、銀行員としての私の将来に期待し、馬鹿なことはやめなさいと慰留されました。私のためを思って引き留めてくれた皆さんには今でも感謝しています。
しかし私の意志は変わりませんでした。一方妻は、挑戦していいと言ってくれました。政治家になりたいと、私が子供の頃からどれだけの努力を続けてきたか、彼女は理解していたのです。あの時挑戦していればと一生後悔をさせるわけにはいかない、と私について来てくれました。支持基盤もなく、お金も持たず、議員の家系でもない私の、ゼロからの挑戦が始まりました。
- 無所属でよく当選しましたね?
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政党の公認や労働組合や宗教団体の応援もなく、組織的な支援がまったくゼロでの初選挙でした。応援してくれたのは子供の頃からの友人や親戚、出身塾とその先輩方、地元の同級生の親御さん達でした。
まったく無名の私は、毎朝夫婦で街頭に立ち、演説をして私の考えを訴えました。思えばあの頃の努力は、生爪で岩山をよじ登るようなものでした。今振り返ってもよく当選したなあと思います。
確かに私は努力をしましたが、当選という結果が出たのは支えてくれた多くの方々のおかげです。「勝てば支持者のおかげ、負ければ自分の責任」、それが選挙だと思います。なぜ当選できたのかと問われれば、たくさんの素晴らしい支持者に恵まれたからということに尽きます。
- なぜ自民党に入ったの?
-
県議会での一期四年間、緑友会という会派で政党無所属の議会活動をしました。政治の現場に入って肌で感じたものは、地方政治も二大政党制に移行しつつあるという現実でした。少数政党では現実の政治を動かす力が弱く、理想を叶えることが難しいという場面に直面しました。
また議会で自民党と民主党の政策を見比べていると、公務員の組合や日教組の利益ばかりを代弁している民主党よりも、自民党のほうが幅広く国民の利益を考えていることがわかってきました。民主党は労働者の権利を代弁する階級政党、自民党は国民各層の利益を調整する国民政党である、というのが私の見立てです。
また民主党の中にはかなりの割合で反日的な思想を持つ人達がいます。日本の舵取りをする人が日本のことを否定していていいのでしょうか?「国を愛し国を守る」、これは政治家、政党の基本ではないでしょうか? そうしたごくごく基本の思想が相容れないため、私は自民党を選択したのです。
- どんな分野が専門なの?
2年に一度変わる常任委員会では、私は毎回違う委員会に所属し幅広く見識を広げることを心がけました。商工生活委員会、厚生労働委員会、警察委員会(副委員長)、文教委員会(副委員長)を歴任しました。
政治家のところにくる相談事は多種多様です。一般市民のみなさんにとって、それが県の問題なのか市の問題なのか民間の問題なのかは関係ありません。社会のあらゆる問題に対して解決の引き出しをたくさん持っておくことが必要になるのです。そういう意味では政治家はスペシャリストではなくゼネラリストであるべきなのです。あらゆる問題を幅広く認識したうえで、それを解決する術をスペシャリスト(官僚)に振るのが本当の政治主導のあるべき姿なのです。
確かに私は民間出身、それも銀行員であったため財務諸表が読める数少ない議員ですが、特定分野の族議員ではなくあらゆる分野に目が利くゼネラリストを目指しています。どんな相談でも理解できるようになるまでには、結構な時間や経験が必要です。日々勉強、研鑽を積んでおりますので、どんなことでもご相談ください。
- 政務調査費についてどう考える?
官能小説を買ったとか海外で高級リムジンに乗ったとか、ご批判の多い政務調査費についてですが、そのような使い道をしている議員がいることは本当に遺憾なことです。デタラメな使い方をしてきた人がいるために、真面目に政務活動をしている議員までもが同様に見なされることは議会としても大きな損害です。
議員の生活は、生活それ自体が全て政務調査と言ってもいいくらいの活動をしています。見るもの聞くもの全てが日本や世界の現状であり、問題であり解決策なのです。どこへ行くにも何を見るにも、活動を広げるほどかかる経費は大きくなります。それが政治に活かされるかどうかは、議員自身の問題意識のアンテナの感度にかかっているのです。
例えば同じ海外視察をするにしても、ただ物見遊山で帰ってくる議員もいれば、行く前から課題を持ってつぶさに現地を見て日本で活かすヒントにできる議員もいるのです。ですから政務調査費を減らすというのは、無駄に使う人から取り上げるという意味では良いとしても、真面目に活かそうとしている議員達からすれば困った話なのです。
この議論の出発点は「議員は無駄遣いをしている」という政治不信にあると思います。ですから大事なのは調査費を取り上げることではなく、無駄遣いをしない信頼できる議員を選ぶことにあると私は思います。また対策として県議会では、不正な使い方を防ぐためのガイドラインを再整備しているところです。
小学5年生の時、担任の先生からクラスのみんなに対して一つの問いかけがありました。「どうして世界から戦争がなくならないのでしょう? あなたならどう行動しますか?」その問いに対する模範解答は「私は戦争反対です! 私が国民なら戦争反対と言います!」というものでした。
しかし私はその模範解答に強い違和感を持ちました。「人を殺したり自分や家族が殺されたり、戦争なんて誰もが嫌なもののはずだ。それなのに戦争が地球上からなくならないのは、戦争を起こす人がいるからではないだろうか? それならば、僕が将来大人になったら政治家になって、平和な社会を作ろう!」そう思ったのが始まりです。
私が3歳の時に死にかけたという話を、中学3年生のときに両親から聞きました。ネズミを駆除するために仕掛けた毒ダンゴを、幼少の私が拾って食べてしまったのです。泡を吹いて倒れた私を両親は病院に運び、三日三晩寝ずの看病が続きました。
三日目の夜、両親はドクターから呼び出されました。「子供の血管は細く、一度針を落とした血管には二度針を入れられません。両手両足、全ての血管に点滴を打ち、この血管への点滴が最後になります。今夜お子さんの病状が回復しないときには、残念ですが諦めてください。」そう言われて覚悟を決めた最後の点滴で、私は一命を取り留めたそうです。
その話を聞いて、私は涙が溢れて止まりませんでした。この私の命は親からいただいた命、お医者様から助けていただいた命、人様のおかげで生かされている命……。人から生かされている命ならば、私は世のため人のために生きなければならないと思いました。普通の子供ならここで「人の命を救うために医者になろう」と思うかもしれないのですが、私はこのとき、小学生の頃に思った「政治家になって世界を平和にする」という夢が強く蘇ったのです。
医者が患者を救うならば助かる命はひとつひとつ、政治家が戦争をしないならば助かる命は数千数万……。政治家が良い政治をするならば多くの人を豊かで幸せにすることができる! やっぱりこれだ! 僕は政治家になって人のために働くんだ! その思いが今日まで私の原動力となってきました。これが私の志です。
大学生の時に、衆議院議員の太田誠一先生のもとでボランティアで働きました。直接代議士に接する機会はあまりなかったのですが、地元の秘書の方々の下で選挙や日常の活動を学びました。選挙では、一人の政治家を生み出すために多くの人達が汗を流していることに感動しました。
秘書の生活は給料も安く休みもなく、それでも政治に夢と理想を持って人生を賭けている人達を見ました。テレビや新聞で見る政治の世界はスキャンダルと権力闘争にまみれていて、「こんな世界に一人で飛び込んでもどうにもならないんじゃないか」と思うこともあったのですが、太田事務所で汗を流す先輩方の姿を見て、「政治って素晴らしい! 政治でできることはたくさんある!」と、理想を持ち続けることができたのです。
その時の先輩方が、三船祐規 前県議会議員(糟屋郡)、月形祐二 県議会議員(前原市)、平畑雅博 市議会議員(福岡市早良区)、栗原渉 県議会議員(朝倉市)です。いつでも私を守ってくれる、心から信頼できる先輩方です。
政治家になろうと思っていた私は、大学卒業後、代議士の秘書になるか松下政経塾に行こうかと模索していました。松下政経塾を見学に茅ヶ崎まで行き、職員の方からもぜひ来いと言われていたところでした。
ところがそこで太田事務所の先輩からあるアドバイスをいただきました。「いっぺん社会に出ろ! 地元で働け! いきなり政治の世界に入っても、政治家になるテクニックは覚えるかもしれないが、ろくな政治家にはならんぞ! 社会に出て、組織の中で仕事をして、給料をもらって、税金を払って、家族を養う……、そんな社会経験をしておかなければ、本当に人の気持ちが分かる政治はできん。就職して結婚してそれでも政治をやりたいと思ったら、また戻って来い!」そう言ってくださった先輩のアドバイスにしたがって、地元で就職活動を始めました。
銀行に入ったのは、経済を学び地元の人脈を作るためです。それまで政治のことで頭が一杯だった私にとって、経済を学んだことは本当にいい勉強になりました。
銀行員生活はたいへん充実していました。私も結婚し、何不自由ない暮らしでした。しかしその頃、大変な不況がやってきて企業倒産が倍増、銀行は貸し渋りで叩かれる日々でした。しかしその貸し渋りは、私に言わせれば国の金融政策が元になって生じたものでした。
3万円あった日経平均株価も7千円まで暴落、国の借金も400兆円に倍増しました。このまま銀行にいれば私の暮らしは安泰かもしれない。しかしこのまま放っておけば日本という国が潰れてしまうのではないか?! そんな危機感が日を追って強まりました。もともと政治家になりたいと思って入った銀行に、生活のためこのまましがみついていていいのか!? 自問自答の日々を送りました。今始めなければ間に合わない! 今やらなくていつやるんだ! 自分を奮い立たせて出馬を決めました。
ただの一サラリーマンが会社を辞めていきなり県議選に出るなんてそんなの無謀過ぎると、家族も職場も皆反対でした。支店長は私の退職届けを人事部に提出しませんでした。銀行の専務が、平社員だった私のところに引き留めに来てくださいました。銀行のOBだった義父も、銀行員としての私の将来に期待し、馬鹿なことはやめなさいと慰留されました。私のためを思って引き留めてくれた皆さんには今でも感謝しています。
しかし私の意志は変わりませんでした。一方妻は、挑戦していいと言ってくれました。政治家になりたいと、私が子供の頃からどれだけの努力を続けてきたか、彼女は理解していたのです。あの時挑戦していればと一生後悔をさせるわけにはいかない、と私について来てくれました。支持基盤もなく、お金も持たず、議員の家系でもない私の、ゼロからの挑戦が始まりました。
政党の公認や労働組合や宗教団体の応援もなく、組織的な支援がまったくゼロでの初選挙でした。応援してくれたのは子供の頃からの友人や親戚、出身塾とその先輩方、地元の同級生の親御さん達でした。
まったく無名の私は、毎朝夫婦で街頭に立ち、演説をして私の考えを訴えました。思えばあの頃の努力は、生爪で岩山をよじ登るようなものでした。今振り返ってもよく当選したなあと思います。
確かに私は努力をしましたが、当選という結果が出たのは支えてくれた多くの方々のおかげです。「勝てば支持者のおかげ、負ければ自分の責任」、それが選挙だと思います。なぜ当選できたのかと問われれば、たくさんの素晴らしい支持者に恵まれたからということに尽きます。
県議会での一期四年間、緑友会という会派で政党無所属の議会活動をしました。政治の現場に入って肌で感じたものは、地方政治も二大政党制に移行しつつあるという現実でした。少数政党では現実の政治を動かす力が弱く、理想を叶えることが難しいという場面に直面しました。
また議会で自民党と民主党の政策を見比べていると、公務員の組合や日教組の利益ばかりを代弁している民主党よりも、自民党のほうが幅広く国民の利益を考えていることがわかってきました。民主党は労働者の権利を代弁する階級政党、自民党は国民各層の利益を調整する国民政党である、というのが私の見立てです。
また民主党の中にはかなりの割合で反日的な思想を持つ人達がいます。日本の舵取りをする人が日本のことを否定していていいのでしょうか?「国を愛し国を守る」、これは政治家、政党の基本ではないでしょうか? そうしたごくごく基本の思想が相容れないため、私は自民党を選択したのです。
2年に一度変わる常任委員会では、私は毎回違う委員会に所属し幅広く見識を広げることを心がけました。商工生活委員会、厚生労働委員会、警察委員会(副委員長)、文教委員会(副委員長)を歴任しました。
政治家のところにくる相談事は多種多様です。一般市民のみなさんにとって、それが県の問題なのか市の問題なのか民間の問題なのかは関係ありません。社会のあらゆる問題に対して解決の引き出しをたくさん持っておくことが必要になるのです。そういう意味では政治家はスペシャリストではなくゼネラリストであるべきなのです。あらゆる問題を幅広く認識したうえで、それを解決する術をスペシャリスト(官僚)に振るのが本当の政治主導のあるべき姿なのです。
確かに私は民間出身、それも銀行員であったため財務諸表が読める数少ない議員ですが、特定分野の族議員ではなくあらゆる分野に目が利くゼネラリストを目指しています。どんな相談でも理解できるようになるまでには、結構な時間や経験が必要です。日々勉強、研鑽を積んでおりますので、どんなことでもご相談ください。
官能小説を買ったとか海外で高級リムジンに乗ったとか、ご批判の多い政務調査費についてですが、そのような使い道をしている議員がいることは本当に遺憾なことです。デタラメな使い方をしてきた人がいるために、真面目に政務活動をしている議員までもが同様に見なされることは議会としても大きな損害です。
議員の生活は、生活それ自体が全て政務調査と言ってもいいくらいの活動をしています。見るもの聞くもの全てが日本や世界の現状であり、問題であり解決策なのです。どこへ行くにも何を見るにも、活動を広げるほどかかる経費は大きくなります。それが政治に活かされるかどうかは、議員自身の問題意識のアンテナの感度にかかっているのです。
例えば同じ海外視察をするにしても、ただ物見遊山で帰ってくる議員もいれば、行く前から課題を持ってつぶさに現地を見て日本で活かすヒントにできる議員もいるのです。ですから政務調査費を減らすというのは、無駄に使う人から取り上げるという意味では良いとしても、真面目に活かそうとしている議員達からすれば困った話なのです。
この議論の出発点は「議員は無駄遣いをしている」という政治不信にあると思います。ですから大事なのは調査費を取り上げることではなく、無駄遣いをしない信頼できる議員を選ぶことにあると私は思います。また対策として県議会では、不正な使い方を防ぐためのガイドラインを再整備しているところです。
