おはようございます。自民党県議団の鬼木誠です。ちょうどこの9月議会の始まった9月20日から26日は動物愛護週間でした。そこで本日は動物愛護について質問いたします。
国では「動物の愛護及び管理に関する法律」が定められており、この法律によると、具体的措置については都道府県等の自治事務によることとされています。福岡県においては「福岡県動物愛護及び管理に関する条例」が定められ、動物愛護指導員といった専門職員が動物に関するさまざまな役割を果たしていると聞いています。そこで、県としてさらに条例に実効性をもたせることが必要だと考え今回のテーマといたしました。今回対象としている動物は「動物の愛護及び管理に関する法律」第44条4項の愛護動物とさせていただきますことをあらかじめご了承願います。
近年のペットブームで犬や猫といった動物と共に生活する人が増える一方で、動物の虐待・遺棄・飼養放棄といった生命倫理に関わる問題が顕著になってきています。
昨今の人と動物との関係について私が問題視している点は大きく分けて三点です。まず第一に県内で殺処分される動物があまりに多いこと、第二に県内において動物虐待事件が多数発生していること、そして第三にはそれらの問題の背景にある生命倫理の欠如です。
日本では現在およそ1800万頭のペットが飼われており、毎年70万頭近くのペットが捨てられていると言われています。保健所に持ち込まれ、ほとんど引き取り手がなく一週間前後で殺処分され、幸運にも飼い主に見つかる確率は犬で約3%、猫でわずか0.6%にすぎません。平成17年度は犬猫殺処分数だけでも363,935匹にのぼります。ペットの一番の死因は事故死でも老衰でも病死でもなく、保健所による殺処分です。福岡でも動物の殺処分件数は全国的に高く、平成16年度の殺処分頭数は19265頭であり、殺処分率は全国一位です。
動物が殺処分される状況をつくりだしているのは人間です。毎年、県内の動物管理センターには何千匹もの犬や猫が持ち込まれており、数の多さに対応が困難となって結局は殺処分せざるを得なくなっています。福岡県内の管理センターに持ち込まれる犬や猫のほとんどが飼い主によって捨てられた動物たちです。管理センターや保健所に犬や猫を連れてくる飼い主の理由はさまざまですが、主なものとしては“病気や老齢”“吠えや噛み付きで手に負えない”“子どもが欲しがって飼い始めたが飽きて世話をしなくなった”“仔犬・仔猫が増えすぎて面倒見きれなくなった”などで、未然に防ぐことが可能なことは明らかです。
まずはこうした事態に対処するため飼い主のモラルを向上させなければなりません。“かわいいから動物を飼う”といった安易な気持ちだけで飼うのではなく、動物を飼養していくためには「命あるものと共に生活していくのだ」という責任と覚悟が必要です。
さらには、動物取り扱い業者による過剰な繁殖を規制しなければなりません。一部の動物取り扱い業者の中には、ペットブームの流れに乗り、利益を求めて犬や猫を次から次へと店頭へ出すために、無理やりに繁殖させているという現状です。成犬や成猫をただ繁殖のためだけに“利用”し、“道具”のように扱っているように思える状況にあります。人間の都合によって繁殖させられ、そうして生まれてきた動物達が結局は人間の都合によって殺処分を受けなければならず、すべてが“人間の勝手な都合”であるということがここでは問題なのです。
動物の殺処分を減少させるための取組みについて、うかがいます。飼い主のモラル向上のために県はどういう取組みをされているのでしょうか。また、動物愛護法では悪質業者について登録及び更新の拒否や登録取り消しなどができるようになっていますが、無軌道な繁殖を行うペット業者に対する指導や規制はどのように行われているのでしょうか。
現在県では動物愛護管理推進計画を作成されている真っ最中ですが、その中で殺処分の減少について充分な対策を盛り込まれることを強く要望いたします。
第二の問題が動物虐待です。近年福岡では動物虐待が頻繁に見つかっています。大濠公園で20匹のカメが殺されて放置されていたり、宮若市の公園で11匹の犬の死骸や多数の衰弱した犬が発見されたり、保育園で飼育されていたウサギが首を切断されて死んでいるのが見つかったりと、残酷極まりない犯行ばかりです。2002年には福岡市東区の男性が猫の虐殺映像をネット上に公開し、マスコミに取り上げられ、動物虐待としては異例の逮捕となる「こげんたちゃん事件」が起こりました。この事件はネット上でも全国的な話題となり、ウィキペディアでも「福岡猫虐待事件」として取り上げられているほどです。こうしたトピックで福岡が全国に知られているのはまったくもって不名誉なことです。これを動物のことだと軽く見ることはできません。動物の身にかかるこれらの不幸は人間の心の映し鏡だからです。人の心のひずみが、より弱い存在である動物にぶつけられているのです。
動物虐待の防止に取り組む重要性はただ動物をいじめるのはよくないという理由だけでなく、人への暴力の抑止につながるといった点にあります。犯罪心理学上、自分よりも弱いものを殺傷し満足を得るといった事件は、徐々にエスカレートしていく傾向を持っていると言われています。過去発生した猟奇的殺人事件も、人間を殺傷する以前に動物を虐殺しているという事実が確認されています。小さな犯罪の抑制がより大きな犯罪を抑制するという割れ窓理論を考えれば、動物虐待事件も人間の問題として解決にあたっていかなければならないのではないでしょうか。米連邦捜査局(FBI)の1970年頃からの調べによると凶悪な殺人犯らの少年期において、深刻な動物虐待を繰り返していた事実と放火癖の2つの共通点が見出されたそうです。1997年の神戸市連続児童殺傷事件でも、加害少年はネコなどへの虐待を繰り返していたことが明らかにされています。
海外にはアニマルポリスという動物専門の警察があります。それらの形態は逮捕権のある警察が行っているものもあれば行政当局が行っているものも民間団体が行っているものもあります。例えばアメリカのロサンゼルスではロス市警が「動物虐待特別捜査隊」を持っていますし、イギリスでは「動物虐待防止協会」という王立(王様の王です)の団体があります。また民間団体での活動も盛んで、イギリスのアニマルポリスが民間組織として成り立っている背景には年間140億円もの寄付があるそうです。その金額の60%は個人の遺産相続からまかなわれているそうで、そうした動物愛護への関心の高さを比較すれば、福岡においてはどういう形態が最適なのか、民間での運営はまだ難しいかもしれません。そこで動物虐待防止に対しての行政関与について考えてみたいと思います。
私が身近で聞いた動物虐待事案は、西公園や大濠公園といった大きな公園が舞台となっています。そこで虐待や遺棄が多数発生し、地域住民の苦情や不安の声が起こっています。これらの公園管理センターの職員の方々にアニマルポリスの呼称やワッペンなどを与え、おかしな動物の扱いや公園使用に注意や指導ができるようにしてはいかがでしょうか。この方法であれば新規に予算措置せずにできると思いますが、知事のお考えをお示しください。もちろん一箇所にアニマルポリスを配備すればうちもうちもとあらゆる地域から設置の要望が出ることと思われます。そうなれば増員が必要になるかもしれませんが、それだけ今、動物に関する問題は多いのだということはここで提起しておきたいと思います。
財政状況が厳しい中「動物に割く予算があるならもっと人間に割くべきではないか」という意見も聞こえてきそうですが、こと動物虐待の事案については、これを放置することは後々人間に被害を拡大することにもつながりかねません。
アニマルポリスを設置するにあたりコスト面が問題になりますが、これは極論かもしれませんが、費用の一部に関してはペットを飼う方々の受益者負担、つまりペット税という新税を設置してまかなうというのもひとつの方法ではないでしょうか。なぜ新たにペット税を徴収する必要があるのかということに関してですが、先ほど述べましたように気軽な気持ちでペットを飼い始め、世話ができなくなったから管理センターや保健所に連れて行くというモラルの低下を防ぐ効果があるのではないかと考えるからです。安易な気持ちで飼おうとしている人に対して「税金がかかるなら…」と躊躇させる意味があります。それでも税を払ってでも家族の一員として犬や猫を迎え入れたいという覚悟と責任をもった人だけがペットを飼うことができるというハードルとなります。ペットと共生できるよりよい社会づくりのためのコストを負担していただくことで、ペットを飼う方々に自覚と責任を促そうという試みです。ドイツなどの動物愛護の進んだ国では、市長選を二分する論点としてペット税導入の是非が問われることもあるそうです。ペットに関するコストを住民の負担にして糞などの処理を行政がやるのか、それとも税を納めないかわりに糞などの全ての世話を住民が責任持ってやるのかという二択を住民が行います。税の新設には相当な検討が必要であり軽々しく論ずることはできませんが、動物を飼うことにともなう責任と社会的コストについての意識啓発の意味もあり議会の場で私論を発言させていただきました。
最後に第三の問題点として、生命倫理の欠如について述べたいと思います。
最近の派手なペットショップを見てなんらかの違和感を覚えるのは私だけではないのではないでしょうか。「ペットのディスカウントスーパー」「自信があります!生命保証制度」「万が一半年以内に命を失った場合は同種同額のペットを無料で差し上げます」「スペシャルプライスドッグ50万円税込み」命を命として扱わないキャッチコピーの数々に我が目を疑うばかりです。こうした風潮を受けて「ペットは購入するもの、お金を出せばいつでも気軽に手に入るもの」という感覚が子ども達に蔓延しているのではないでしょうか。大量消費される商品と、かけがえのない命との区別がつかなくなっているのではないでしょうか。入り口がこれでは、ペットを飼うことで命の尊さを知ることができるのかは甚だ疑問です。自然と触れ合う機会がめっきり減った子ども達、ゲームの世界で敵をやっつけることに夢中になっている子ども達、だからこそペットと触れ合うことで命の大切さやぬくもりを実感するべきだというのにです。
そこで教育長にうかがいます。子ども達が生命の尊さを知り慈しむ気持ちを育むために、学校教育ではどのような取組みをされているのでしょうか。
また日本では古くから、自分より弱いものを決していじめないという美風があります。全ての生命を慈しむ感情を伝統的に持っていました。おじいちゃんやおばあちゃんが言っていたような価値観が現在教育の場で扱われることはあるのでしょうか。こうした心が呼び起こされれば自分より弱い存在である動物を虐待するといった卑怯きわまりない事件は起こりえないと私は考えます。惻隠の情や卑怯を許さない心、こうした道徳観を身に付けさせることが大切なことです。日本人固有の伝統的価値観が、現在の教育の場でどのように教えられているのか、教育長お答えください。またそうした価値観の伝承が教育力向上県民会議でも重視されることを期待するものでありますが、知事の所見をうかがいます。
学校教育の中でも動物との触れ合いを通じた情操教育の大切さは広く認知されつつあります。動物の適切なケアのために学校獣医師制度の導入も全国で徐々に進んでいるところであります。人と動物の関係がより優しく心温まるものになりますように、そしてより心豊かな県民生活につながりますように心から願い質問を終わります。ありがとうございました。